ことばを食する

私的な読書覚え書き。お薦めできると思った本を取り上げます

2022-01-01から1年間の記事一覧

爽やかな復讐劇 タゲは日本国 〜「ワイルド・ソウル」垣根涼介

読みながら心ざわめき、次の展開が待ち遠しくて、ページをめくる手が止まらなくなる。優れた小説が持つスピード感であり、物語の「力」とも言えます。しかし、どれだけ読者がわくわくしようと、実はもっとわくわくした人物が過去に一人だけいて、それは作者…

素描とメイキングの画廊 〜くーのブログ個展

連日の仕事の息抜きに、ふと、一昨年から描いた素描を紹介させていただこうかと思いつきました。ささやかな<ブログ上の個展>。出品者としては会場費も額装費も必要なし!。うん、そこに関してははいいかも。 絵は素人のお遊びゆえ、未熟な点はご容赦くださ…

作り手たちのカオスな日常 〜「最後の秘境 東京藝大」二宮敦人

おそらく10分に1回くらいは、にんまり頷いていました。30分に1回くらいは、笑い声をあげていたかもしれません。 たまたま、知人と時間待ちをしていたとき。文庫本を開くわたしの不審な笑いを、知人に聞きとがめられました。 「どうしたんだ?」 いや、それが…

ふと目にした北鎌倉、祈りの光景

雨の鎌倉を訪ねたのは1年前でした。 名古屋、東京にそれぞれ用事があって高速バス、新幹線を使って回りました。用事といっても仕事ではなかったので、余裕を持った3泊4日。2泊した東京では美術館巡りを1日、もう1日は小雨の中、30数年ぶりに鎌倉へ。 北鎌倉…

柿を齧って思いをはせる 〜柿の文化史

80歳をとうに越えた農家の叔父が、軽トラを運転して柿を届けてくれました。これから雪が降ると、白い景色の中に鮮やかに色映えるのは柿です。わたしにとっては冬の初めの見慣れた景色でありながら、どこか懐かしい点景。 江戸時代から、越中の農民は飢饉に備…

その女、魅力量りがたし 〜「和泉式部日記」

<女>は世を儚み、日々打ちひしがれていました。愛し尽くした男が前年、若くして病死したからです。 亡くなった男、実は妻帯者でした。おまけに将来は国のトップになったかもしれない皇族。一方で<女>の方にも、役人の夫と幼い娘がいました。許されぬ2人…

のろまで不器用で、泣き虫な<希望> 〜「さぶ」山本周五郎

江戸・下町の表具店で、一人前の職人を目指して修行する栄二とさぶ。男前で仕事もめきめき腕を上げる栄二に対し、さぶはずんぐりした体型、のろまで不器用、おまけに泣き虫。同い年の二人は、強い友情で結ばれ助け合っています。 ところが23歳になったある日…

秋の譜

国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。 あまりにも知られた、川端康成「雪国」の冒頭。作品のこの入り、続くセンテンスと一体になることで、見事な存在感を獲得しているのです。 国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号…

生きること、夢見ること 〜「更級日記」の魅力

父の地方勤務に伴い、思春期を草深い東国で過ごす少女。彼女は姉や継母から、光源氏のことなど様々な物語について教えられます。すぐにも読みたいのですが、何しろ田舎のこと。本屋さんなんて、どこにもない時代です。 「更級日記」=菅原孝標の女(すがわら…

秋の日射しのような... 〜「古本食堂」原田ひ香

11月に入って庭のドウダンツツジが赤く色づき、斜めから射す光を浴びています。夏の太陽は頭上から照りつけるけれど、冬を控えたこの時期は真昼も空の低い位置から光が射し、景色が輝いて見えるのはそのせいだろうか...と、ふと思いました。 「古本食堂」(…

かくして世界一の都市は生まれた 〜「家康、江戸を建てる」門井慶喜

18世紀に人口が100万人を超え、世界最大の都市になったのは徳川幕府のお膝元・江戸です。欧州最大の都市、ロンドンでも当時は85万人程度だったとか。 天下を統一した秀吉が、北条氏の所領だった関東八カ国へ移るよう、家康に申し渡したのは16世紀の終わりこ…

ひと鉢のバラとことしの秋

「今年の秋に剪定したものを頂戴!」 Kがわたしの投稿にコメントしたのは、昨年の初夏のころでした。Kもわたしもけっこう昔からのフェイスブックユーザーで旧友。前年の秋に剪定したツルバラの枝を、挿木して育てた我が家の写真を見て、Kが書き込んだのでし…

恐ろしくも哀しい 〜「破船」吉村 昭

「破船」(吉村昭、新潮文庫)は、感情を排した描写に徹し、淡々と言葉を紡いで恐ろしい寓話世界へ案内してくれます。 背後に山々が迫り、目の前は岩礁に白く波が砕ける僻地。へばりつくようにして人々が生きる小さな村があります。舞台は江戸時代、小舟を出…

秋晴れの道 〜信州へ日帰りツーリング

朝、目を覚ますと今日も秋晴れ。家に籠るのも飽きた...と思ったら、曜日を気にせず遠出できるのが、引退したじじいの特権です。財布とスマホとマスクさえポケットに入れれば準備完了。あ、まずは顔を洗って。 紅葉には早いけれど、実りの秋です。山間地は蕎…

戦国を駆け抜けた孤独なヒール 〜「じんかん」今村翔吾

面白い小説は冒頭の数ページで読者を引き込みます。ページをめくったとたんに「むむ!」っと思わせ、先を期待させる雰囲気をぷんぷん発してきます。 暖簾をくぐったら、目の前のざわめきや漂ってくる食い物の匂いで、「この店は当たりだ」と直感するのに似て…

あいの風とウオーキング

目覚めると、夏のように影が濃い日差し。食パンと苦いコーヒーで朝食を済ませ、箪笥から仕舞ったばかりの半袖を取り出す。歩いて海へ。 10月半ば。風が肌を撫で、稲刈りの終わった田が広がる。既に初雪の知らせが届いていた北アルプスは今日、微かなシルエッ…

はるかな宇宙で衝撃の出会い 〜「ソラリス」スタニスワフ・レム

満天の夜空を見上げれば、だれしも感嘆します。星に見える輝きの多くは、実は無数の星が集まった星雲であり、光がようやく地球に届いた遠い過去の姿をわたしたちは今見ている。そして宇宙全体が膨張を続けていると聞かされれば、なんとも不思議な気持ちに襲…

大切にされ続けた本には心が宿る 〜「本を守ろうとする猫の話」夏川草介

町の片隅にある一軒の小さな古書店「夏木書店」。 床から天井に届く書架を、世界の名作文学や哲学書がぎっしり埋めています。売れ筋の人気本や雑誌などは一切置かずに、「これで経営が成り立つのか」という店です。細々と店を営んできた祖父が急死しました。…

美味しさについて書かれた 美味しい1冊 〜「美味礼讃」海老沢泰久

もし、「美味しいこと」に関する1番のお勧め本を問われたら、ずいぶん迷います。味の好みが年齢と共に変わるのは確かで、最近は和食や、質素な精進料理の淡白に奥深さを感じます。 一方で、1皿のために時間と素材を贅沢に使うフランス料理に感服する心も未だ…

「吉田調書」をめぐって 〜「朝日新聞政治部」鮫島浩

本についてブログを書くとき、肯定的な心の発露による文章だけを書きたいと思っています。要は、心が動かなかった本、否定的な思いを抱いたものは取り上げない。作者が精魂傾けた仕事に、ちっぽけな個人の主観で異を唱えたくないからです。 「朝日新聞政治部…

くーの文章講座? いや酔ったついでの戯言

このブログをよく訪ねてもらうともこ (id:jlk415)さんから前回、こんなコメントを頂きました。 「美しい」「感動した」などの言葉を使わずにどう表したらいいものか、考えがなかなか浮かばない。 その思い、よく分かります。わたしがいつも気にかけているこ…

一語多義の豊かさについて愚考する 〜「源氏物語」瀬戸内寂聴訳その9(番外編)

書庫であり、書斎であり、アトリエでもあり、見方を変えれば整理不可能なあきれた物置、そして夜毎独り呑みの空間である6畳の部屋。そこにある机上、および手が届く範囲には常時4、50冊の本が積まれているか並んでいます。未読のいわゆる<積読本>がある一…

質素な中の 限りない豊かさ 〜「土を喰う日々」水上勉

よく行く書店に映画やテレビドラマの原作になった、あるいは近々公開予定の映画の原作を集めたコーナーがあります。眺めて「なるほど」とか「へえー、これを映像化?」とか。もちろん「どんな小説なんだろう」と、想像が広がる未読作が圧倒的に多いのも楽し…

大災害と小さな新聞社の苦闘 〜「6枚の壁新聞」石巻日日新聞社編

宮城県北東部の石巻市は、太平洋に面した人口13万6千人の市です。沿岸部は漁業や養殖、水産加工業が盛んで、北部にかけてリアス式海岸の複雑な地形が続いています。 その石巻市で1912年(大正元年)に創刊され、石巻と東松島市、女川町をエリアに読まれてい…

美味しいと、言う必要のないご飯が美味しい 〜「おいしいごはんが食べられますように」高瀬隼子

近年、芥川賞受賞作と聞くと無意識のうちに身構える部分があります。というのも、普通の生活感覚からズレた(いい意味で)斬新な作風が多いから。文学に限らず、芸術は過去にない新しい領域を世界に付け加えようと作者が格闘するものですから、純文学を標榜…

最先端の図書館と昭和の町の図書館

巨大図書館で思い浮かぶのは日本なら国立国会図書館ですが、個人的にはもう1館、紀元前に創立されたエジプトのアレクサンドリア図書館です。ギリシャ、ローマ時代の学術のシンボルとも言える古代施設でした。 なぜそんな図書館が思い浮かぶのかは、たぶん...…

絵を描いて、歯痒く、面白く

絵を描く面白さって何だろう。 よく自問してみるのですが、これがなかなか難しい。そもそも表現行為の「面白さ」とはどんな要素で構成されているのかー、なんて考えること自体が興醒めで愚かなことなんだけど。 ところが分かっていながら、また考えてしまう…

テロルが残したもの

「新盆を迎えた人」とは、この1年間に亡くなり、初めてあの世からわが家に戻る人のことです。それぞれの家が送り火で、ご先祖さまたちを再びあの世に送ればお盆が明けます。 まさか今年、新盆を迎える人の中に加わると想像もしていなかったのが安倍晋三元首…

苦しみは天から降る光のせい 〜「くるまの娘」宇佐見りん

話題作「推し、燃ゆ」で芥川賞を取った宇佐見りんさん。受賞後の第一作が「くるまの娘」(河出書房新社)です。 書店に平積みされ、帯にある出版社の<推し>がすごい。まず「慟哭必至の最高傑作」と目に飛び込んでくる。山田詠美さん、中村文則さんの推薦文…

「粋」と「いなせ」 〜「天切り松 闇語り」浅田次郎

歳はとりたくねえもんだの、くーさん。昔なら三日とかからなかったろうに、最近はのんびりかい。まあ、若え時分と同じにやれってほうが無理な話だがの。 ...と、「天切り松 闇語り」(浅田次郎、集英社)を読み終え、わたしは登場人物の東京弁(いうまでもな…