ことばを食する

私的な読書覚え書き。お薦めできると思った本を取り上げます

くーの文章講座? いや酔ったついでの戯言

 このブログをよく訪ねてもらうともこ (id:jlk415)さんから前回、こんなコメントを頂きました。

 「美しい」「感動した」などの言葉を使わずにどう表したらいいものか、考えがなかなか浮かばない。

 その思い、よく分かります。わたしがいつも気にかけていることと同じだから。このポイントをどう処理するかによって、文章の広がりは全く別物になります。

 分かりやすい例文を考えてみます。さて。...例えば印象派展を開催中の美術館を訪ねて体験を書いたと仮定します。

 

 モネの傑作「睡蓮」の美しさに見とれました。わたしの心に深い感動が広がりました。

 

「美しさ」「感動」と、ストレートに言葉を使ってあります。素直ですが、絵画のイメージや臨場感が乏しい気がします。別のスタイルで表現すると

 

 モネの「睡蓮」の前で足が止まりました。キャンバスから溢れ出る光の囁きに、わたしは時間を忘れました。

 

 こちらは「美しい」と「感動」は封印し、「傑作」「深い」という仰々しい表現も避けました。

 「美しい」と「傑作」を「キャンバスから溢れ出る光の囁き」と、作品描写に置き換えます。「深い」「感動」と書く代わりに、足が止まる、時間を忘れると、自分の状態を描写して心を代弁させました。

 

 どちらが文章として優れているか、という比較は実はあまり意味がない気がします。文章の好き嫌いは人それぞれです。ただ個人的な好みとして、わたしは絶対に後の文章。また、その書き方をベースに自分の文章を考えます。

 「美しい」と「感動」は、目の前にあるものや心の状態を、一言にした説明です。簡潔ですが、本当に伝わるのか?。

 かつて連載記事やルポルタージュを書くときに、いつも心にこう言い聞かせていました。<説明せずに描写すること>。「感動」の一言を使わず、自分がどんな状態に陥ったかの描写で表現する。

 文章の書き始めから終わりまで、この姿勢を貫く必要はありません。要は一番大切な部分で、説明ではなく描写するテクニックです。

 もう一つ、「○○のような」という安易な比喩や形容詞は、文章全体を通してできる限り避けます。これも好みの問題だと思うけれど。

 

 さて、ここでややちゃぶ台返しですが、ブログなどネット上に発信する文章において、わたしは意図して「美しい」「感動した」のような言葉を使うことがあります。また

 「感動!感動!感動!感動!ー侍ジャパン!!」のような羅列は、現在進行形のシチュエーション次第で、またツイッターやSNSのような文字数の限られた媒体でインパクトを得ます。「カンドー(涙)」なんて表現も、味があることを否定できません。ネット社会がもたらした新しい文字文化だと思います。

 まあ、わたしはオールドメディアの人間なので、なかなかそちらには同化できないけれど。日々、移り変わる日本語は面白い。