ことばを食する

私的な読書覚え書き。お薦めできると思った本を取り上げます

永井荷風の「断腸亭日乗」と、今日

 昨日から、わたしが住む地も梅雨入りしました。

 今朝は午前6時起床。なぜか、あまり思い出したくないかつての上司が出てくる夢を見て目が覚め、眠れなくなりました。こんな早起きは久しぶり。

 曇り、ときどき細かい雨あり。

 昼まで絵を描き、午後は買い物。ドラッグストアで発泡酒と目薬を購入。夕方に驟雨。夜、書架から「断腸亭日乗」を抜き出し、荷風はかつて同じ日、何をしていたのか読んでいました。

 

 六月十五日。快晴。夜銀座にて理髪し、直に帰宅す。弦月の光澄みわたり、風聲秋の如し。(大正15年)

 

 96年前の今日、関東は爽やかな1日だったようですね。この年、永井荷風47歳。小説家として脂がのっていた頃です。関東大震災に見舞われたのは3年前。東京・銀座はおおかた復興していたのだろうかと、つい想像します。また、わたしの亡父が生まれた年でもあります。

 以下はwikiから。

 

 断腸亭日乗』(だんちょうていにちじょう)は、永井荷風日記。1917年(大正6年)9月16日から、死の前日の1959年(昭和34年)4月29日まで、激動期の世相とそれらに対する批判を、詩人の季節感と共に綴り、読み物としても、近代史の資料としても、荷風最大の傑作とする見方もある。

 

 わたしは荷風の熱心な読者だったことはありません。かつて数作を読んだだけ。あとは老境に至って浅草に住み、踊り子たちの楽屋に通い、独り死んだ荷風の生き様を羨ましく思っていた程度でした。

 ところが近年、新聞にコラムを書く仕事を引き受けてから、俳句の歳時記と並んで「断腸亭日乗」は、身近に必要な1冊(というか、岩波書店刊7冊)でした。

 例えば6月15日の朝刊1面に載せるコラムを書く時、過去の同じ日荷風は何をして世の中はどうだったのか、40数年間の記録が「断腸亭日乗」にあるからです。どころが...これがまた、なのです。ページを開くとつい読み進んでしまって仕事にならず、しかも実際に仕事に生かせたことはほぼなかったといういわく付きの本です。

 さて、わたしの今日に戻れば、積読本が増えているのは横目に流し見て、キャンバスを睨み、細筆でボケ防止の指の運動でした。去年から描き続けて、ゴールは全く見えてこない鳥の巣の絵に挫けそうになりながらも、この枝の1本1本を運んで我が家を築いた親鳥に比べたら、それを描くだけのことなど高が知れているとも思い。

 そしてただ、目の前にあるものを記す。それが「断腸亭日乗」という、一人の小説家の日誌です。わたしの絵も、少しでもその境地に近づきたい、なんて。

 

 

 仕事のコラム、わたしが書くのは来週の1本が最後になります。何をテーマにしようか、考えているところです。