本についてブログを書くとき、肯定的な心の発露による文章だけを書きたいと思っています。要は、心が動かなかった本、否定的な思いを抱いたものは取り上げない。作者が精魂傾けた仕事に、ちっぽけな個人の主観で異を唱えたくないからです。
「朝日新聞政治部」(鮫島浩、講談社)を読み終えて2週間余り。ブログに書くかどうか、迷っていました。個人的には面白かった。記者たちが政権中枢にいる政治家たちとの関係を築く舞台裏、また新聞社という特殊な組織内での力学が、生々しく描かれています。
鮫島さんは元朝日新聞政治部記者で、現在はフリーのジャーナリスト。本の帯から借用すれば「すべて実名で綴る内部告発ノンフィクション」です。
面白かった、しかし...。
今回は、そもそもなぜこの本を読む気になったのか、から書き始めなければいけません。少々とっつきにくい話なので、興味を持てそうにない方はここから先、いつでもスルーしてください。
「吉田調書」というものがあります。東日本大震災でメルトダウンした東京電力福島第一原発。現場のトップであり死を覚悟して対応を指揮したのが、吉田昌郎(まさお)所長=2012年に食道がんで死去=でした。
震災後、政府事故調査・検証委員会は吉田所長から詳細な聞き取りを行いました。それが約400ページにわたる「吉田調書」です。政府は当初、「吉田調書」を非公開としていました。
「吉田調書」を極秘裏に入手したのが、朝日新聞の2人の記者です。編集局内に2人を含めた4人のチームが作られ、調書を読み込みました。調書からこんな新事実が明らかになったーと記事化すれば、スクープは間違いありません。
2014年5月20日の朝日新聞朝刊で、記事は1面と2面を使って展開されました。1面の大見出しは<所長命令に違反 原発撤退><福島第一所員の9割><政府事故調の「吉田調書」入手>。
福島第一原発が最大の危機を迎えた2011年3月15日朝、吉田所長が中枢以外の所員たちに1F(福島第一原発)から「近場への避難」を命じました。実際は所員たちは10キロ離れた2F(福島第2原発)へ避難。
そもそも「近場」とはどの範囲か。「近場」に安全な場所などあったのか。しかし朝日新聞は2Fへの避難を<所長命令に違反 原発撤退>と見出しに打ったのです。
1面記事のリード(最初のまとめ主文)はこう結ばれています。
「その後、放射線量は急上昇しており、事故対応が不十分になった可能性がある。東電はこの命令違反による現場離脱を3年以上伏せてきた」
記事は海外メディアも取り上げ、原発事故と闘った日本人のイメージを著しく損なったことも否定できません。
ところが、なのです。実際は吉田所長の「近場」という指示を伝えた人が「2Fに行け」と運転手に具体的に言い、その後吉田所長自身が「その方がはるかに正しいと思った」「バスで避難させました、2Fの方に」と調書に証言しているのです(この部分は「吉田調書を読み解く」門田隆将、PHPによる)。
同年8月に入って、産経新聞、読売新聞が相次いで「吉田調書」を入手し、共に朝日の「スクープ」を全面否定する記事が、1面から踊りました。読売の1面トップ記事の見出しは<福島第一 吉田調書><「全面撤退」強く否定><「第二原発への避難正しい」>と、吉田所長の証言を打ちました。
政府はついに9月11日をもって「吉田調書」の公開を決定。
その前日、東京築地の朝日新聞本社で記者会見が開かれました。木村伊量(ただかず)社長=当時=が「吉田調書」に関する記事の取り消しを述べ、誤報を認めて謝罪したのです。
なぜわたしが書店で目にした「朝日新聞政治部」を読む気になったのか。著者の鮫島さんが、<命令違反>のスクープを書いた取材班のデスク(統括者)であり、第6章が「『吉田調書』で間違えたこと」のタイトルで誤報の検証に充てられていたからです。
朝日が誤報に至った具体的な経緯は、木村社長の会見からは分かりませんでした。誤報までのプロセスを、できる限り知りたいと思っていました。そして、本を読み..
「なるほど事情と心情に理解できる面はあるけど、それはダメだよ」が、わたしの結論でした。
個人としての考えですが「吉田調書」のどの部分を選んで記事化するか、第一歩に決定的な誤りがありました。2Fに避難したという事実を、なぜ選択したのか。その選択によって、<命令違反><東電が事実隠蔽>という衣装を強引に着せた記事が出来上がります。
6章には選択に至る過程について詳しい記述がありますが、厳しく言えば言い訳にしか思えず、誤りを認めて原因を検証する自省が浅すぎると感じました。まして謝罪会見に至るまでの、外部からの反論に対する新聞社としての危機管理の甘さを強調するに至っては、落胆しかありません。
もう1点だけ挙げるなら、取材班は命令違反したという現場の人間にただ一人も当たらず、証言を得ることもなく、机上の調書だけであの記事を書いています。
記者たちは震災取材のベテランだったかもしれませんが、その取材体験はネクタイを締めて報告を受ける政府や東電相手であって、被災地の現場取材に関しては素人でした。現場への人間的な共感が薄くなっても仕方がありません。
これは与えられた取材対象に食らいつく記者個人の責任ではなく、デスクを含めた組織としての判断ミスであり責任です。
逆説的ですが、報道する側の人間にとって、この本はとても貴重で、ひやりとさせられる1冊だと思います。
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(わたしは「吉田調書」を読んでいません。「吉田調書」と東日本大震災に関する複数の著作をもとにした稿であることを付記しておきます)
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