ことばを食する

私的な読書覚え書き。お薦めできると思った本を取り上げます

歩き続けるために、立ち止まる 〜「ベスト・エッセイ2020」日本文藝家協会編

 二篇のエッセイが、妙に響きあって、心に残りました。どちらも、新聞に掲載された短い原稿です。

 まず2020年5月25日、朝日新聞に掲載された青来有一さん(作家)の「暖簾は語る」。

 年に数回は行くという、長崎県の温泉地の居酒屋の話です。

 八十代の元気なお母さんが店内で客を相手にし、五十代の息子さんは厨房で黙々と調理している。

 寡黙で内向的な息子さんですが、料理の腕は絶品。さすがに10年も通えば、それなりに話もしてくれます。

 息子さん、料亭などでの修行経験はなく、全くの我流。しかし、魚一本捌けば、アラまで味わい尽くせる料理を出してくれます。

 自らの料理を誇ることもない、伏し目がちなお腹が出たオッサンの内気さのなんと奥ゆかしいことか。

 相手の目をまっすぐに見て話しなさいと昔からずいぶん教えられてきたが、あまりに一面的に外交的態度とコミュニケーション能力ばかり追い求めると、世の中、隠れた豊さを見失うのではないか。

 目を見て話さない(話せない)人がいてもいいーと知って初めて、この店にかけられている、ぼろぼろになった暖簾の味が分かる。今夜も、営業してるんだろうなあ。

 読むと、無性にこの居酒屋に行きたくなるではないか!。刺身を食って、アラの味噌汁をすすりたくなりました。

 

 次に、同年6月23日の神奈川新聞。書いているのは、作家の藤沢周さん。タイトル「隠棲」。隠棲(いんせい)とは、改めて解説するまでもありませんが、俗世間を離れて静かに自らの世界に生きる達人のような生活態度です。

 でも多くの人が同様の生活を送ると、最近はなぜか<引きこもり>と呼ばれる。藤沢さんはこう書きます。

 頑張ることは大事だけれど、この成果ばかりが求められる世の中で、「俺が、私が」としゃしゃり出て平然としていられる神経が嫌だから、社会に背を向けたくなる。

 うん、うん。なるほど。でも完璧にコミュニケーションを断ってしまうのは、ちょっとまずい。

 一人になることは心の地下室でいろんな実験を行うものだが、やはり、小さな窓は開けておくべきだろう。

 時には小窓から外をのぞいて、何か手を貸そうか、と言ってみる。つぶやくだけでもいいと思う。いつか、どこかに

 必ず、「お、助かる!」と言ってくれる人達がいる。

 

 どちらのエッセイも、さりげないけれど、ちくりと刺さりました。「ベスト・エッセイ2020」(日本文藝家協会編、光村図書)に収録されている二篇です。

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 自分の経験を顧みても、「ゴールだけを見て突っ走れ」と、今の競争社会は強要してきます。おかげで、見えないものがたくさんあった。歩くから、立ち止まったから、見えて、拾えること。これからは引きこもって、隠棲しようかな。

 苦しい時は無理せず、しゃがめばいいのだと思います。いつかまた進むために。