明治に生まれ育ち、大正から戦前にかけて青春期、壮年時代を過ごした一人の詩人の自伝に、なぜ妙な懐かしさを感じるのか。自分が生まれるずっと前の時代に、郷愁のような心の揺らぎを覚える不思議について、わたしはうまく説明できません。
詩人・金子光晴は、1895(明治28)年に生まれ、1975(昭和50)年に没しました。10歳ほど年上に萩原朔太郎、北原白秋がいて、宮澤賢治とは1歳違い、年下にはサトウハチローなどがいます。
金子には若い時代に2度の渡航体験があります。特に2度目の渡航は妻の森三千代(詩人)と一緒に、数年にわたって、時には旅程と行動を別にしながら、アジア各地からパリまでを放浪しました。
優雅な旅ではなく、日本で食いつめた果ての海外脱出です。「詩人 金子光晴自伝」によれば、上海までの連絡船に乗り、現地の知人を頼り、金銭を得るために得意の絵を描いては売るという綱渡りの放浪です。
それでもアジアは何とかなりますが、パリは厳しい。最後は泥棒か乞食....と言うけれど、それは言葉の上だけのこと。
現実は「泥棒をするには様子がわからないし、乞食が立っていたって一銭にもならない土地だ。(中略)無一物の日本人がパリでできるかぎりのことは、なんでもやってみた。しないことは、男娼ぐらいなものだ」という具合です。
多くの無名の人々に交じって、ロベール・デスノス(シュールレアリスムの詩人)と藤田嗣治の妻・お雪も出てきます。2人がいちゃついているので、金子はデスノスのお尻をつねったりしています。
人の女房と、何いちゃいちゃしてんだおまえ。しかも隠れもせずーみたいな具合。なんとも時代を感じるシーンです。
ちなみに、お雪は日本人のような名前ですが、美貌で知られたフランス人女性で、のちに藤田と別れてデスノスの妻になっています。
渡航部分に焦点を当ててしまいましたが、内容は明治という時代のなかでの人間形成から、大正の空気、戦争、そして戦後までを記した自伝です。それぞれの社会と芸術・思想の潮流に対して、金子らしい批判精神が貫かれていて、何とも楽しませてもらいました。
金子は海外放浪について「マレー蘭印紀行」「どくろ杯」「ねむれ巴里」などの体験記を書いていて、わたしは学生時代に読みました。ただ「詩人 金子光晴自伝」が、未読でした。
絶版なのでネットで古本を探したのですが、程度のいい文庫版でも4,000〜5,000円以上。数百円の本があっても、かなり痛んでいるようで、二の足を踏みました。
そんなとき、美品の「金子光晴全集」全15巻(中央公論社)がたった4,000円で売りに出ているのを見つけました。持っている本との重複はあっても、ついそちらを買ってしまうのが、なんとも困ったわたしの性癖です。
さて、金子光晴は<詩人>です。
作品に萩原朔太郎のような一貫して高尚な芸術性、北原白秋の抒情、宮澤賢治のような清廉は、ありません。しかし、例えば宮澤賢治の<アメニモマケズ....>が、詩として優れているとは、わたしは残念ながら思えません。
金子は生涯にさまざまな詩を書いていますが、わたしが好きなのは<お下劣><お下品>な作品群。天の高みを目指すのではなく、地に這う視線がとらえた詩です。
海外放浪の体験から生まれた「洗面器」という詩があります。小さなフォントで前書きが付されていて
<僕は長年のあひだ、洗面器といふうつはは、僕たちが顔や手を洗ふのに湯、水を入れるものとばかり思つてゐた。ところが...(中略)...その同じ洗面器にまたがつて広東の女たちは、嫖客(女を買いにきた男)の目の前で不浄をきよめ、しやぼりしやぼりとさびしい音をたてて尿をする。>
洗面器
洗面器のなかの
さびしい音よ。
くれてゆく岬の
雨の碇泊。
ゆれて、
傾いて、
疲れたこころに
いつまでもはなれぬひびきよ。
人の生のつづくかぎり
耳よ。おぬしは聴くべし。
洗面器のなかの
音のさびしさを。
詩集「女たちへのエレジー」(創元社、昭和24年)の中にある一篇。人によっては、眉をひそめたくなる詩かも。美しさは、かけらもありません。でも、女という性別も超えて、人が生きることの根底に等しく在る「さびしさ」が、わたしには伝わってきます。
「こんな詩を書いた明治生まれのおっちゃんって、一体どんなやつなんだ?」
その疑問にしっかり答えてくれるのが、彼の自伝や海外放浪記なのです。