ことばを食する

私的な読書覚え書き。お薦めできると思った本を取り上げます

中村真一郎 〜作家つれづれ・その3

 最近、中村真一郎さん(1918〜1997年)の本を引っ張り出してきて、拾い読みの再読をしています。今はもう「それはだれ?」、という人が多いかもしれません。

 小説家、仏文学者。文学評論も書き、若いころは詩人として知られ、またラジオドラマの脚本なども書きました。わたしが読んだのは、中村さんの仕事のごく一部。硬質な印象のある詩と、日本の古典文学について書いた3冊の評論集に過ぎません。作家としての本流は小説なのですが、そちらは未読のままです。

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 「私説 源氏物語」(潮出版社、1975年、絶版)のページをめくって、当たり前のことを忘れていた自分に気づき、はっとしました。

 「源氏物語」の主人公・光源氏と、彼の終生の友でライバルでもある内大臣は、現代なら国政における総理大臣と保守党幹事長のような立場(物語中盤)です。さらに天皇のほか、他の男たちも権力の中枢にかかわる人物がぞろぞろ。

 ところが彼ら、エネルギーの大半を女性との関係に注ぎ込んでいます。嘆いたり、涙したりばかり!。いつ、仕事(政務)してるの?。わたしなどつい「おいおい、こんな連中が政治を担っていたら、世の中どうなるんだ?。だから貴族は没落したんだよ」などど思ってしまいます。

 しかし中村さんはやんわりと、わたしの安易な思い込みを訂正してくれます。

 おいおい、くーさん、そもそもこれは「小説」なんですよーと。しかも女性の手による。

 同じ時代に書かれた「大鏡」を読んでごらんなさい。政権闘争の凄まじさ、残酷さ、生き抜くためにキジの生血を毎朝飲んだり。そこには「源氏物語」にない男の世界が、生々しく描かれていますから....。

 あ、なるほど。と、わたし。

 中村さんは東大仏文科卒で、フランス文学研究者というイメージが強くわたしの中にあります。「源氏物語」を解剖する評論も、古今の西欧文学の知識をバックボーンにした遠近法の中に作品をとらえてあって、そこが魅力です。

 わたしは大学時代、英文科に籍を置いてサークルはフランス文学研究会にいながら、日本の古典にも惹かれていました。そのせいで、当時は中村さんの評論が身近に感じられたのでした。

 20世紀を代表するプルーストの大長編「失われた時を求めて」と「源氏物語」を対比して、その共通点を考える視点がわたしの中にあって、そもそもいつ、どこでこの視点を学んだのかすっかり忘れていました。

 ああ、それ、中村さんの文章からでした。40数年ぶりに本を開いて、鮮やかに思い出しました。

 

 瀬戸内寂聴さんの「源氏物語」を読み進めながら、長く書架の奥に眠っていた本をいろいろ取り出してくるこのごろです。岩波古典文学体系の原文、谷崎源氏、中村さんらが書いた源氏物語についての仕事など。

 学生時代に通った道を、思いがけずゆっくり再訪することになり、昔は見えなかった景色もたくさん見えてちょっと楽しい。

 

 せっかくなので、詩人としての中村さんも、1フレーズだけ紹介しておきます。

  Idee

 香り溢れる闇のしじまを、

 何思ふなく沈んで行った。

 めまひが湧いて泡が光った、

 星影揺れる夢の波間を。

 (以下略)

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「全集・戦後の詩」第1巻 角川文庫(絶版)から

 ある人の評を引用すれば「孤独で、夢みがちな言葉の群」。

 たぶん<文学者>とは、中村さんのような人を言うのでしょうね。最近は作家や小説家はたくさんいるけれど、文学者にはなかなか出会えない気がします。