ことばを食する

私的な読書覚え書き。お薦めできると思った本を取り上げます

不倫の大絵巻 いよいよ佳境に 〜「源氏物語」瀬戸内寂聴訳その2

 体調がすぐれないため、祈祷をしてもらおうと出かけた春の山寺で、光源氏は10歳ほどの女の子を見かけます。

 女の子は扇を広げたような黒髪を揺らし、赤く泣き腫らした顔。育ての親である祖母の尼君を見つめて必死に訴えるのです。

 「雀の子を、犬君(いぬき)が逃しつる、伏籠(ふせご)の中(うち)に、籠めたりつるものを」

 (雀の子を、いぬき=女童の名=が逃しちゃったよー。籠を伏せて捕まえてあったのに〜、涙w)

 光源氏の終生の伴侶となる、紫の上のデビューシーンです。

 黒文字の引用は瀬戸内寂聴さんの現代語訳ではなく、岩波古典文学体系の原文(若紫の帖)から。というのも、昔、源氏を読んだときこのシーンと台詞が焼きついて、他は全部忘れても、これだけは鮮やかに記憶に残っているからです。

 幼いあどけなさを、1シーンの日常描写でこれほど見事に書ききった例は、現代の小説でもあまりないと思います。この後も、幼い紫の上を描く紫式部の筆は、生き生きとしています。

 「かわいい」....。

f:id:ap14jt56:20210531163210j:plain

 瀬戸内寂聴訳「源氏物語」は、54帖中の5番目である「若紫」まで読み進みました。本でいえば、10巻中の第1巻を読了です。

 しっかしなあー、光源氏って、何者だ?。

 前稿で書いた六条御息所と「激しい愛の疲れ」で寝ぼけているかと思えば、同時進行で「空蝉」に惹かれて強引にものにし、後日忍んで入った寝床で空蝉だと思ったら違う女性だったという笑い話があり、ついでにその女性ともねんごろになる始末。

 まだ終わりません。はかなさ漂う「夕顔」と恋に落ち、しかし彼女は光源氏に連れ出された廃院でものの怪に襲われていのちを落とします。

 ここまでが第4帖。すべて光源氏17歳の出来事です。

 巻末には、瀬戸内さんが各帖ごとの解説を書いていて、これがとても面白く、参考になります。

 男性の読者に、源氏物語の中で好きな女性はと訊くと、異口同音に「夕顔」と答える。(中略)可憐で、謎めいていて、おとなしく、性的にもすばらしい。男のいいなりに、心も体も、飴のようにとろけさせ自在に曲げ、水のようにどんな男のすき間をも満たそうと、ぴったり密着してくる。

 うーん、わたしはどう読んでも、ここまで具体的に夕顔の人間像を想像できませんでした。さすがは恋愛の修羅を生き抜いて、仏門に入った瀬戸内さん。ついでに付け加えると、わたしのナンバー1は、今のところ夕顔ではありません。

 光源氏が18歳になった「若紫」の帖。紫の上の可憐なデビューに関しては、冒頭に紹介しました。やがて女の子(紫の上)の世話をしていた祖母が亡くなると、なんと光源氏は紫の上を強引に自宅の豪邸に引き取ってしまうのです。

 これは今だと、かなり危ない....w。

 そしてついに、さらに.....ここまで秘められていた重大な不倫が、読者に知らされます。(と、紹介しているわたしが、あまりにも立て続けの色恋沙汰で疲れてきた)

 光源氏には、子どものころから心の奥底に恋焦がれている女性がいて、なんと義理の母。つまり父である現天皇の年若き后(きさき・正妻)、藤壺。

 そうきたかあ!。不倫の巨大絵巻もここに極まれり。いや、まだ序の口か?。

 光源氏と藤壺はすでに不倫関係にあり(いつの間に?、そこは作品で触れられません)、藤壺は子供を宿します。彼女は思い悩んだ末、生まれてくる赤ちゃんは、天皇の子だと一世一代の嘘をつく決意をし.....

  再び、瀬戸内さんの解説を紹介すると

 ここに来て、「源氏物語」の面白さは、いよいよ魅力的になってくる。

 

 あ、言い忘れていましたが、光源氏にはすでに葵の上という正妻がいます。

 さて、改めて光源氏って、何者だ?。

 類まれな美男子。しかしすぐに涙するし、いいと思った女性には歯の浮くような短歌を贈り、前世からの縁を感じるとか何とか、仏教の教えを都合よく引っ張り出してきて言いよります。

 「理想の男性像」とは、とうてい思えません。仮にそうだったとしても、紫式部という、女性が作り上げた理想像ということになります。はて。彼はそれでもヒーローなのか?

 こんなおかしな男を主人公にした物語が、どうして1000年にわたって名作とされて読み継がれてきたのか、真面目に考えると不思議です。

 大昔の貴族社会に、現代の感覚を持ち込むのは乱暴だろうーというのは確かですが、人間の心根というものはそうそう変わるものではないと思います。

 光源氏に対比して、描かれる女性たちの人間像は、それぞれくっきりと今の感覚で理解できて、細かい心の動きにリアリティーがあります。これは凄いと思う。

 もう一点、市井の人々の光景がさり気なく差し挟まれることがあって、けっこう効いています。だれか指摘していたはずですが、プルーストの「失われた時を求めて」にも似たような部分があり、不思議な感じがします。

 さて、源氏をお読みになっていない方も、ここまで少しだけ読んだ気になれたとしたら幸いです。わたしは読み進めてケチもつけながら、いろいろ思いを爆走させて楽しんでいます。

 6月から2巻目に突入します。 

 

f:id:ap14jt56:20210531163245p:plain