ことばを食する

私的な読書覚え書き。お薦めできると思った本を取り上げます

男と女のどろどろは、ついに心理小説へ 〜「源氏物語」瀬戸内寂聴訳その7

 12月にもなれば、北陸は雪の気配です。冷たい雨やみぞれを降らす雲で空は覆われ、晴れる日が少なく、やがて分厚い雪雲に変わっていきます。昼過ぎにはもう、雲の向こうの見えない日没に向かって、長い夕暮れが始まる気がするのです。

 若いころはそんな鬱々とした気候に耐えられず、東京の大学に逃げ出したのですが、老いを意識する今は、この地の冬こそ落ち着いて何かに集中できる季節なのだと思えます。

 さて、瀬戸内寂聴訳「源氏物語」を読んでいるのか、古文の「源氏物語」を読みながら瀬戸内さんの訳を併読しているのか、よく分からない状態のまま師走を迎えました。読みながら、最近また新たなため息をついています。もちろん賛嘆のため息ですが。

 突然ながら、<心理主義小説>はフランスを中心に19世紀後半以降脈々と続き、さまざまな名作を生み出してきた文学の潮流です。

 ラディゲ、プルースト、日本なら大岡昇平、三島由紀夫...。いやそもそも、人の心の動きを細かく描写、分析して積み上げることで読者の心をつかむ手法は、多くの現代小説の骨格になっています。当たり前過ぎて、いまさらそれを○○主義と言ったりしないくらいに。

 そして源氏。瀬戸内さんの解説によれば、故・折口信夫(おりぐち・しのぶ=国文学者、民俗学の大家)は「源氏は『若菜』から読めばいい」と言ったとか。

 なるほどなあ。何が「なるほど」なのか少し書いてみます。

 源氏は全54帖のうち、第33帖まではタイトル通り源氏<物語>です。既にすごい物語なのですが、第34帖「若菜」以降、中身は物語から<小説>に変貌します。紫式部が俄然ギア・チェンジしたことを、読めば誰もが実感できると思います。

 老境にさしかかった光源氏はじめ、各登場人物の心理描写がより細かくなり、それぞれの思いや願い、悲しみが交錯し、すれ違うことでストーリーが進みます。これ、近代的な(現代的でもある)心理主義小説の手法そのもの。しかも一千年前に書かれた。読者としては、その先進性にため息して当然なのです。

 瀬戸内さんは、書き手としての紫式部は「若菜」において、超一流の作家へと脱皮したーという趣旨の解説を書いています。

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 今日は「若菜」を経た第36帖の「横笛」まで読み終えました。妻で世間知らずのお嬢様(前天皇の愛娘)が産んだ光源氏の息子が、1歳になったころの話です。ここまで、どんな局面かと言えば....

 この息子、実はお嬢様妻が不倫してできた光源氏の部下の子なのです。光源氏は妻に届いた不倫相手の手紙を読んでしまい、事実を知ります。それでも、世間体があるので実子のように育てなければならない。

 お嬢様妻は夫に知られたことを悲観し、出家してしまいました。もともと不倫と言っても、自分に一方的に思いを寄せた夫の若い部下に寝床を襲われ、その後も押しの強さに負けて関係が幾度か続いた結果の妊娠なのだから、これも悲劇です。

 夫に隠れて誰かを愛したわけではない。むしろ陥った関係を忌み嫌っていた。

 そしてそして、お嬢様妻に横恋慕した若者だって、思いを募らせた純情な小心者。事実が光源氏に知られたと分かり、ノイローゼになって死んでしまうのです。

 この若者、自分が大切にした横笛を子供に託したいと、霊になっても願っています。形見の横笛は所有者が転々としはじめ...。「幼い子が成長した時、いつか横笛はその手に渡るのだろうか?」と、期待を抱かせて「横笛」の帖が終わります。

 うわあー、相変わらずどろどろの世界!。人の愚かさ、切なさ、そして駆け引き。もちろん話はまだまだ終わらない...

 読者としてはまず、光源氏がこの世を去る第41帖「雲隠」(この帖のみ、題だけがあり本文はない)にたどり着かなければ。今年中には読み進めたいところです。

 光源氏亡き後は不倫の子が「薫」として主人公になります。年度末の来年3月までに全54帖を読了するのが、今の目標になっています。

 大昔の大作というのは、読む面白さと苦労がコインの裏表みたいにせめぎ合って、体力と気力勝負みたいなところがある。でも気づけば折り返し点を過ぎているから、なんとかゴールまで頑張れそうかな。