ことばを食する

私的な読書覚え書き。お薦めできると思った本を取り上げます

千年をタイムスリップした 〜「紫式部日記」の1シーンから

 2008(平成20)年、アメリカに端を発した金融危機・リーマンショックの荒波が世界に広がり、日本も不景気に喘いでいました。11月1日(土曜日)は全国的に曇り空で肌寒く、北日本の一部では雷雨。季節は冬に向かっていました。

 ネットのスケジュール管理を調べると、わたしはこの日出張があって、土曜といえど仕事だったらしいw。一方、知るはずもなかったのですが、京都では源氏物語千年記念式典が開かれていました。席上、京都府は11月1日を「古典の日」とする宣言を行ったのです。なぜこの日を?...と、今になって千年をタイムスリップしてみました...

 

 「すいません、このあたりに、可愛い、かわいい若紫はいませんか」

 (あなかしこ。このわたりに、わかむらさきやさぶらう)

 政界を仕切る大物の宴。集まったお偉いさんの一人が、仕える女たちの部屋に顔を出してぐるりと見回し、そんな戯れを言ったのです。<彼女>はそれが、自分に向けた言葉だと分かりました。しかし、お偉いさんに言い返すわけにもいかず、心の中でこう思ったのです。

 「そもそも光源氏のような魅力的な男がいないのだから、まして若紫はいるはずがないでしょ!」

 (源氏にかかるべき人も見えたまはぬに、かの上=若紫=は、まいていかでものしたまはむ)

 貴族として栄華を極めた藤原道長の土御門邸での出来事でした。千年前の西暦1008(寛弘5)年11月1日、心の中で貴族に言い返した<彼女>は、紫式部です。このエピソードは「紫式部日記」から抜粋しました。

 当時、彼女は30代(生年に諸説あるため、正確に何歳かは断定できません)。前後の記述も含めて分かるのは、このとき大長編「源氏物語」は絶賛執筆中!の現在進行形で、序盤の巻五「若紫」に登場する女の子はすでに、可憐なヒロインとして貴族のおっさんたちの憧れの的だったことです。

 彼女が属するサロンと張り合う、ライバルのサロンには清少納言がいて、エッセイ「枕草子」で名高い才女でした。四季折々、身の回りの美しさ、情緒に目を向けて言葉に掬い取った最初の人です。しかも批評精神満載で。

 物語という絵空事(フィクション)で大人気の紫式部のことを、どう思っていたか。想像するのは自由なので、さてさて。たぶん....。

 かたやスキャンダルの女王、和泉式部が健在でした。

 もの思えば沢の蛍もわが身よりあくがれいづる魂かとぞ見る

 夜の川縁にただずんで「もの思えば(恋しいあなたのことを思うと)、闇に飛び交う蛍の明滅さえ、「わが身よりあくがれいづる」わたしの体からあふれ出た)魂のように見える...。

 彼女は天性の恋の詩人。不倫、皇族の男たちとぐちゃぐちゃになった魔女ですw。

 才女3人に共通の知人に、赤染衛門(あかぞめえもん)という女性がいて、これもよく知られた詩人(歌人)でした。今からほぼ千年前の11世紀初めに、どうしてこんなすごい女性たちが集中したのか、興味深いテーマです。政治、経済的背景、かな文字の歴史から仮説を展開すると、面白い1冊の本が書けそう。

 ちなみにこの年、1008年は京の一角で、菅原孝標という中級貴族に次女が産まれました。赤ん坊は後に文学少女として成長します。そのころにはもう完結し、大ベストセラーとして定着していた「源氏物語」に憧れますが、なかなか読めません。印刷技術などない時代なので、だれかが大長編をせっせっと書き写した、写本を探すしかなかったのです。

 次女は伝手を頼って写本を借りると、それはもう夢中になって読み耽りました。しかし、やがて年老いたとき、彼女は夢見る少女が現実に裏切られ続けた一生を、苦々しく振り返ることになります。回想録は「更級日記」と呼ばれています。

 ついでにこの次女の母の姉(つまり伯母さん)は「蜻蛉日記」の作者で、これも平安の日記文学を代表する古典。血は争えませんね。

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 ふう。焼酎飲みながらの千年のタイムスリップ。突然ながら酔って支離滅裂になる前に現在に帰還し、寝る準備に入ることにします。紫式部は布団の中でも眠れず、構想を練った夜がたくさんあっただろうなあ。それくらいの熱気がないと、あの大長編は絶対に書けなかったと思う。

 

              

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