ことばを食する

私的な読書覚え書き。お薦めできると思った本を取り上げます

時空を散策する楽しさ、退屈さ 〜「全集 日本の歴史」16巻+別巻1

 日本の通史を学び直したい...という気持ちが以前からあって、しかし、なかなか手をつける勇気が出ませんでした。

 いつだったか百田尚樹さんの「日本国紀」(幻冬舎文庫、上下巻)をこのブログで紹介しました。これは一人の小説家の視点による通史です。主観に方向性を持った個人の歴史記述は、面白さと同時に、客観性に関して危うさを併せ持っています。

 事実の堆積である<歴史>は一見、個人の主観が入り込む余地などない印象がありますが、とんでもない。どの事実を選択し積み上げて、新たな解釈を生み出すか、過去の時代像をどう描き直すかが、歴史の醍醐味だと思います。

 今回はできるだけ客観性と、新しい知見を併せ持った通史を読みたかった。発掘調査の進展や、最新技術による解析の進歩、新史料の発見によって、子どもだったわたしが教科書で学んだ歴史知識はかなり塗り変わっています。

 かつて習った「稲作=弥生時代から」の図式。イネは朝鮮半島から伝わりましたが、縄文時代の終わりにはすでに日本の広い範囲でイネを栽培していたことは今や常識です。栗などは、現代で言うところの果樹園を作って管理していたようです。土器の底に付着したコメや栗、あるいは出土人骨の遺伝子解析で、さまざまな事実が浮かび上がります。

 米づくりを主な生業にするムラを形成し、ムラの周囲に濠や用水を巡らし、本格的な農耕社会に入ったのが弥生時代。といっても、ある日を境に弥生が始まるはずもなく、緩やかな変化のどこかを便宜的に区切るしかありません。弥生時代後半には、卑弥呼の邪馬台国のような国が各地にでき、朝鮮半島や中国との外交関係が始まりました。

 東アジア地域での外交、鉄の輸入、文字の使用、暦の導入による国家の<時間支配>の開始。奈良時代に入ると、なんと24品種以上のイネを作り出し、国が品種管理していた農政の実態が、出土した木簡から判明しています。

 ...などなど、個人的には歴史を学ぶより、雑学を蓄える面白さ。要は、それを味わいたいのが本音に近いような。

 「全集 日本の歴史」(16巻+別巻1、2007-2008年、小学館)は、各巻の執筆に、主に准教授クラスの若手研究者を選んでいて、各時代への光の当て方が面白そう。江戸幕府の鎖国を扱った第9巻など、執筆はアメリカ・イリノイ大学の教授。そこまで行き着いていないため未読ですが、外国の研究者が鎖国政策と日本社会をどんなふうに描き出すのか、楽しみです。

 現在は第4巻「平安時代 揺れ動く貴族社会」の後半に入ったところ。わたしの中では、この巻と「源氏物語」に代表される平安女流文学が1対の合わせ鏡になって、時代を生きた人々の姿が浮かび上がってきます。

 「源氏物語」を読んで印象的なのは、恋愛に明け暮れる上級貴族たちの生活が、常識外れに豪奢で優雅なこと。彼らの生活を成り立たせていた社会構造と、庶民の過酷な日々がよく分かりました。いつの世も、大多数の一般人は厳しいなあ。

 また病気や怨霊に対する、異常なまでの恐れと仏教祈願。これも、古代に伝来した仏教が平安期に至って、上級社会にどのように受容されていたかを理解すると、「源氏物語」の登場人物たちの精神構造の土台がすっきり見えてきました。

 あるいは「更級日記」。作者の父は東国の国司で、任期を終えて京に旅立つところから日記は始まりますが、当時の地方官の実態をあれこれ知って、「なるほどなー」と思い返す部分があったりします。

 

 一方、読みながらしばしば辟易するのが人物名の煩雑さ、正確を期そうとする余りの分かりにくさ。例えば...

 A天皇は譲位してBが新しい天皇になり、皇太子はCとした。Aの兄弟ABの子がBであり、CはAの子である。これには事前に、上皇のDも含めた話し合いがあったと思われる。

 わたしの頭の中は、たちまちAからDの固有名詞で混乱します。せめて、一部整理省略してこう書いてほしい。

 A天皇は譲位して、甥のBを天皇にしたが、次の天皇になる皇太子は、わが子のCとすることで系統をつないだ。これは事前に、先代も含めた話し合いで決めたと思われる。

 執筆が歴史研究者なので、これに類する記述のとっつきにくさが散見されます。素人には、なんだか謎解きにも似て、いわゆる<論文調>なのかなあ。要は「わが子を天皇にしたいけどまだ幼いから、一時的に甥っ子でつないだよ〜」ってことなんですが...。

 こうした部分、すべて記憶するのは苦痛だし、何しろ退屈。そして無理。わたしの場合、一部斜め読みです。基本になる権力争いの構造だけ理解するようにし、固有名詞にはあまりこだわりません。

 

 ともあれ、当分の間は次に何を読むか苦労しなくても済みそうです。最終巻に行き着くまで、何度か小説に浮気しそうな気もするけれど。