「不潔なおじさん」を筆頭に、とかく女性に不人気な生き物はいろいろ思い浮かびますが、木々の緑が深まるにつれて最近元気になり、這い回ったり、飛んだりする一部の虫たちも嫌われ者の部類でしょう。そもそも「害虫」という言葉はよく耳にしますが、反対語の「益虫」は日常会話にほぼ登場しません。ではちょっと、気味の悪い虫のお話など...
昔むかし、風変わりなお姫様がいました。
顔立ちは整っているのですが、ファッションやお化粧にはとんと関心がありません。日々、下男たちにさまざまな毛虫を集めさせ、これを飼って暮らしていました。
しかも下男には虫のニックネームを付け、例えば<けらお>君が珍しい虫を捕まえてくれば褒美を与えるといった具合です。
一方で周囲の貴公子たち。なにしろ厚化粧を重ね着したような女性の顔しか見たことがないので、すっぴんのお姫様が大変な美女であることになかなか気づきません。まして毛虫マニアとあれば、思わず引いてしまっても責めるわけにはいかないでしょう。
そんな娘を持って、心穏やかでいられないのは親です。変なうわさが立っては....と心配しますが、お姫様は平然と言い返すのです。
「世間から何と言われようと平気です。毛虫がチョウに変わるように、森羅万象の流転の成り行きを観察するからこそ世の真理も見えてくるのです。当然の道理ではないですか」(原文の要約です)
「さはありとも、音聞、あやしや(理屈はそうでも..人聞きが悪いし..)」
と、親は困り果ててしまいました。
平安時代に書かれた「堤中納言物語」に登場する「虫愛づる姫君」です。信念を述べるうら若き女性と、うろたえる父母が目に浮かぶようで、今もどこかにありそうなシーンではないでしょうか。
「虫愛づる姫君」を収めた「堤中納言物語」を、現代風に解説(PR)するなら10のストーリーを集めた短編小説集。そこには機知、諧謔、「あはれ」が詰まっています。
1作だけ作者が推測されているようですが、残りはだれが書いたのか分かっていません。それぞれ、違う人の手による作品です。
改めて驚くのは、これらが平安時代(一部は鎌倉時代初期)に書かれたということ。うーん、日本の昔の作家たち、かなりやるな!。でもまあ、この百数十年前には既に「源氏物語」が書かれているのだから、このレベルの短編の書き手が複数いても不思議はないけれど。
さて、お姫様です。こんな具合では貴族社会でどんな人生を送ったのか、その後が気になるところ。ところが「二の巻にあるべし(続きはまた今度)」で、物語は突然終わってしまうのです。
もとより二の巻は存在せず、「二の巻にあるべし」は物語の終わりを告げるお約束の結語。あとの展開は読者の想像力に任せるという、心憎い書き手のテクニックですね。
ちなみに、宮崎駿監督の名作「風の谷のナウシカ」の主人公ナウシカは、虫愛づる姫君がモデルです。なんとあのお姫様、遥かな時空を超え、壮大なSFファンタジーの世界に姿を変えてよみがえっていたわけです。