ことばを食する

私的な読書覚え書き。お薦めできると思った本を取り上げます

小説

<小説>というカテゴリーに説明不要だと思いますが、日本、海外の作家によるフィクションです。

名作の続編 壮大な叙事詩再び 〜「2010年宇宙の旅」アーサー・C・クラーク

SF史上の名作の一つに、1968年公開の「2001年宇宙の旅」があります。映画(スタンリー・キューブリック脚本・監督)が公開され、同年少し遅れて小説(アーサー・C・クラーク)が刊行されました。 同名の映画と小説がある場合、最初に原作の小説があるか、ま…

女の一念を込めた手裏剣が 〜「ないしょ ないしょ」池波正太郎

池波正太郎の人気シリーズ「剣客商売」には、2作の番外編があります。1作はシリーズの主役・秋山小兵衛の若きころを描いた「黒白(こくびゃく)」(新潮文庫)で、小兵衛の死闘と人生修行が描かれています。 もう1作が「ないしょ ないしょ」。わたしは未読で…

辿りつけば 哀しく清々しい愛 〜「存在のすべてを」塩田武士

ぐいぐい引き込まれていく、ページをめくるのが楽しい。それは小説が持つ大きな力です。「存在のすべてを」(塩田武士、朝日出版社)は、久しぶりに読書の醍醐味を与えてくれました。 30年前の未解決誘拐事件。銀座の画廊に長く秘蔵される、無名画家による類…

道化と仮面 それぞれの生と死 〜「人間失格」「仮面の告白」

プロローグ(...わたしの中の空想図・交友関係) 親しくなりたいと思わない。しばしば目を背けたくなる。けれど、なぜか何度も一緒に酒を飲んでしまう。ダザイ・オサム君はそんな小説家でした。わたしが若いころの話です。 青森の裕福な旧家に生まれたダザイ…

太宰治と三島由紀夫 〜作家つれづれ・その7

少し前から、書店に行くと気になっていたのが、角川文庫の近代文学に使われているカバーです。こんな具合。 みなさま、自分のイメージとどれくらいマッチするでしょうか? 文豪ストレイドックスコラボカバーをさらに見る うーん、個人的に太宰はじめみんな垢…

おもちさんとユニクロの細いズボン 〜「にぎやかな落日」朝倉かすみ

朝から気持ちのいい秋晴れ。外に見える木々が陽射しを浴びて輝き、紅葉と冬に向かって急ぎ始めた気配が伝わってきます。部屋の窓際にあるキンモクセイは、例年より1週間ほど遅く満開になり、目覚めの深煎りコーヒーと香りが混ざり合いました。 「にぎやかな…

老人はライオンの夢を見ていた 〜「老人と海」E・ヘミングウェイ

世に中にはおびただしい本があって、どんな小説が好きかは人によって異なります。わたしが「この作品は素晴らしい」と思っても、ついさっきショッピングモールですれ違ったたくさんの人たちは、みんな自分だけのお気に入りを持っています。 若い女性ならハッ…

激辛でも濃厚でもなく 静かに沁みる 〜「灯台からの響き」宮本輝

読んでいるうちに、何かをしたくなる本があります。そわそわと、椅子から立ち上がりそうになってしまい。「灯台からの響き」(宮本輝、集英社文庫)も、そんな1冊でした。 父の味を守ってきた中華そば屋の62歳の男が、黙々と仕込みをするシーンを読むうち、…

庶民の悲哀を軽く見るなよ! 〜「五郎治殿御始末」浅田次郎など

小学館の日本の歴史で、いま明治前期を描いた「文明国を目指して」(牧原憲夫)を読んでいます。ふと思い出したのが、浅田次郎さんの「遠い砲音(つつおと)」という短編でした。 明治維新といえば、身分制度の撤廃、教育義務化、赤煉瓦の建築、ガス灯など前…

死ぬこと生きること 〜「天地」チンギス紀17、北方謙三

8月初めに義父が逝って、喪主を務めました。93歳。若いころから交友関係が広かった人で、通夜と葬儀に100人を超える参列をいただき、息を引き取るまでの義父の人生について簡潔に話すことで、お礼のあいさつとしました。 わたしは11年前に実父をがんで失って…

我、語りを極めんとす 〜「仏果を得ず」三浦しをん

「仏果を得ず」(三浦しをん、双葉社)は日本の伝統芸能・文楽の世界で、芸に命をかける青年の物語です。といっても、カタイ話ばかりではありません。なにしろこの青年、知人が経営するラブホテルの一室を格安で借り切って、アパート代わりにしているくらい…

武士たちの「倍返し」経済小説? 〜「大名倒産」浅田次郎

積りに積もったわが家の借金が、2500万円になったらどうしよう。利子の支払いだけで毎年300万円。これに対して、どんなに頑張っても収入は年100万円前後。うわあ〜です。いや、もう叫ぶ気力も残されていないか。 もし企業なら、とうの昔に倒産しているはず。…

人は虚しく、哀しい 〜「グレート・ギャツビー」フィツジェラルド

喧騒と過剰。 アメリカ文学を代表する作家の一人、F・スコット・フィツジェラルドの「グレート・ギャツビー」(野崎孝訳、新潮文庫)の印象を簡素に表すと、わたしは冒頭の言葉が浮かびます。第一次世界大戦が終わり、アメリカが経済的な繁栄を謳歌する1920…

ぼくらは冷酷に生き抜く 〜「悪童日記」アゴタ・クリストフ

読み始めるとまず、感情を排した簡潔な記述に引き込まれます。フランス語からの翻訳で読むわけですが、原文が持つ雰囲気と存在感が(おそらく)ストレートに伝わります。目の前の現実を映し出すことに徹し、感情の揺らぎによる曖昧さや、形容詞で飾ることを…

1年後に花を買う その時きみは 〜「平場の月」朝倉かすみ

50歳。半世紀も生きてきたのだから、波乱や悲しみ、喜びの経験はいくつも胸にしまってある。だれだってそうだろう。もう、冒険を試みるような年齢ではない。日々の小さな感情の起伏をつなげて年月が過ぎ、やがてそう遠くないいつか、老いた自分を静かに見つ…

光を描くか陰を描くか 歴史の表裏 〜「我は景祐」熊谷達也

幕末から明治維新までを舞台にした小説はたくさんあって、「幕末・維新物」と呼ぶカテゴリーを設けたいほどです。 その時代の人気ヒーローと言えば坂本龍馬か、西郷隆盛か。吉田松陰のような学者もいます。一方で幕府側には勝海舟、幕府海軍を率いて函館に籠…

家も愛も捨てて滅びへ 〜「幕末遊撃隊」池波正太郎

幕末という激動期。自らの信念を貫こうと時代のうねりに逆えば、人間一人など跡形もなく滅びて消えてしまう。そうして歴史の闇に消え去った人は、少なくなかったはずです。 「幕末遊撃隊」(池波正太郎、新潮文庫)は、若い剣士の生き様と死までを、一条の閃…

爽やかな復讐劇 タゲは日本国 〜「ワイルド・ソウル」垣根涼介

読みながら心ざわめき、次の展開が待ち遠しくて、ページをめくる手が止まらなくなる。優れた小説が持つスピード感であり、物語の「力」とも言えます。しかし、どれだけ読者がわくわくしようと、実はもっとわくわくした人物が過去に一人だけいて、それは作者…

のろまで不器用で、泣き虫な<希望> 〜「さぶ」山本周五郎

江戸・下町の表具店で、一人前の職人を目指して修行する栄二とさぶ。男前で仕事もめきめき腕を上げる栄二に対し、さぶはずんぐりした体型、のろまで不器用、おまけに泣き虫。同い年の二人は、強い友情で結ばれ助け合っています。 ところが23歳になったある日…

秋の日射しのような... 〜「古本食堂」原田ひ香

11月に入って庭のドウダンツツジが赤く色づき、斜めから射す光を浴びています。夏の太陽は頭上から照りつけるけれど、冬を控えたこの時期は真昼も空の低い位置から光が射し、景色が輝いて見えるのはそのせいだろうか...と、ふと思いました。 「古本食堂」(…

かくして世界一の都市は生まれた 〜「家康、江戸を建てる」門井慶喜

18世紀に人口が100万人を超え、世界最大の都市になったのは徳川幕府のお膝元・江戸です。欧州最大の都市、ロンドンでも当時は85万人程度だったとか。 天下を統一した秀吉が、北条氏の所領だった関東八カ国へ移るよう、家康に申し渡したのは16世紀の終わりこ…

恐ろしくも哀しい 〜「破船」吉村 昭

「破船」(吉村昭、新潮文庫)は、感情を排した描写に徹し、淡々と言葉を紡いで恐ろしい寓話世界へ案内してくれます。 背後に山々が迫り、目の前は岩礁に白く波が砕ける僻地。へばりつくようにして人々が生きる小さな村があります。舞台は江戸時代、小舟を出…

戦国を駆け抜けた孤独なヒール 〜「じんかん」今村翔吾

面白い小説は冒頭の数ページで読者を引き込みます。ページをめくったとたんに「むむ!」っと思わせ、先を期待させる雰囲気をぷんぷん発してきます。 暖簾をくぐったら、目の前のざわめきや漂ってくる食い物の匂いで、「この店は当たりだ」と直感するのに似て…

はるかな宇宙で衝撃の出会い 〜「ソラリス」スタニスワフ・レム

満天の夜空を見上げれば、だれしも感嘆します。星に見える輝きの多くは、実は無数の星が集まった星雲であり、光がようやく地球に届いた遠い過去の姿をわたしたちは今見ている。そして宇宙全体が膨張を続けていると聞かされれば、なんとも不思議な気持ちに襲…

大切にされ続けた本には心が宿る 〜「本を守ろうとする猫の話」夏川草介

町の片隅にある一軒の小さな古書店「夏木書店」。 床から天井に届く書架を、世界の名作文学や哲学書がぎっしり埋めています。売れ筋の人気本や雑誌などは一切置かずに、「これで経営が成り立つのか」という店です。細々と店を営んできた祖父が急死しました。…

美味しさについて書かれた 美味しい1冊 〜「美味礼讃」海老沢泰久

もし、「美味しいこと」に関する1番のお勧め本を問われたら、ずいぶん迷います。味の好みが年齢と共に変わるのは確かで、最近は和食や、質素な精進料理の淡白に奥深さを感じます。 一方で、1皿のために時間と素材を贅沢に使うフランス料理に感服する心も未だ…

美味しいと、言う必要のないご飯が美味しい 〜「おいしいごはんが食べられますように」高瀬隼子

近年、芥川賞受賞作と聞くと無意識のうちに身構える部分があります。というのも、普通の生活感覚からズレた(いい意味で)斬新な作風が多いから。文学に限らず、芸術は過去にない新しい領域を世界に付け加えようと作者が格闘するものですから、純文学を標榜…

苦しみは天から降る光のせい 〜「くるまの娘」宇佐見りん

話題作「推し、燃ゆ」で芥川賞を取った宇佐見りんさん。受賞後の第一作が「くるまの娘」(河出書房新社)です。 書店に平積みされ、帯にある出版社の<推し>がすごい。まず「慟哭必至の最高傑作」と目に飛び込んでくる。山田詠美さん、中村文則さんの推薦文…

「粋」と「いなせ」 〜「天切り松 闇語り」浅田次郎

歳はとりたくねえもんだの、くーさん。昔なら三日とかからなかったろうに、最近はのんびりかい。まあ、若え時分と同じにやれってほうが無理な話だがの。 ...と、「天切り松 闇語り」(浅田次郎、集英社)を読み終え、わたしは登場人物の東京弁(いうまでもな…

浅田次郎 〜作家つれづれ・その6

10年ほど前、浅田次郎さん、中村文則さんと食事をご一緒したことがあります。わたしが勤務していた会社と某企業が組み、作家の講演会を開きました。講師として話していただいたのがこの2人でした。 講演会は盛況に終わり、関係者数人で夜の宴席を設けたので…