ことばを食する

くーの、極めて私的な読書覚え書き。誰かにお薦めできると思った本を取り上げます

小説

心の闇に埋もれたもの 憎悪か愛か 〜「この世の春」宮部みゆき

人の心の闇、しかも生きるために自分で封印した記憶の闇であるなら、ほんとうは触れずにそっとしておくのが一番かもしれません。しかしその闇を抱えるがゆえに、狂気との瀬戸際に立つ本人が死に向かっていると分かれば、そうもいきません。苦しむのが純真で…

正義や理想があるから 悲劇が生まれる 〜「道誉と正成」安部龍太郎

高校までで学ぶ歴史がつまらないのは、年代や出来事の丸暗記を求められるからです。教科書では太古から現代まで、人の生き様や社会のストーリーが語られることはありません。しかも奈良、平安、鎌倉、室町、戦国...などと時代ごとに章でぶつ切りにして、それ…

彼だけがたどりつけた 松林図の世界 〜「等伯」安部龍太郎

能登半島の入り口にある石川県七尾市は、海に面した静かな市です。前田藩の城下町である金沢より、海路を使えば越中(富山)に近く、万葉時代からから良港を持つ海運の地として栄えました。栄えた面影は既になく、今は人口減少に悩む地方都市の一つですが、…

高校球児殺害に挑む 老犬+加代ちゃん 〜「パーフェクト・ブルー」宮部みゆき

日本の小説に探偵という職業は向かないという指摘を、どこかで読んだ記憶があります。もちろん江戸川乱歩の明智小五郎、横溝正史の金田一耕助をはじめ、日本にも名探偵はいますが、シリアスな設定の現代小説で探偵という職業は確かに使いづらいと思います。…

まっすぐに生きる 裁判の勝者は? 〜「沈黙法廷」佐々木譲

フリーで家事代行を営む地味な女性。彼女の仕事先で、独り暮らしの男性が絞殺されます。やがて、60代の独り暮らし男性の不審死が複数、彼女の周囲で起きていたことが明らかになり...。「沈黙法廷」(佐々木譲、新潮文庫)は骨格がしっかりしているから、安心…

童話のような 小説のような 〜「食堂かたつむり」小川糸

細部の描写や比喩の感性、文章のリズムがいい。さらさらと小川を流れる、透明な水のような味わいです。一方で細部を積み上げた「作品」として全体を見ると、かなりツッコミどころがあるかな。「食堂かたつむり」(小川糸、ポプラ文庫)は失恋して声を失った…

人はむかし 交尾して子を産んだ 〜「消滅世界」村田沙耶香

才能ある作家が、束縛なく想像力を解き放った作品だと思いました。「消滅世界」(村田沙耶香、河出書房新社)は、作家仲間から「クレイジー沙耶香」と呼ばれる村田さんの世界そのもの。誰にも似ていないし、真似もできません。ページをめくれば、読者を引き…

かけがえのなさとは 物語に癒やされて 〜「ツバキ文具店」小川糸

はたして小説に「癒やし系」というジャンルがあるのかどうか分かりませんが、「ツバキ文具店」(小川糸、幻冬舎)はそんな1冊でした。いい作品には派手な道具立てやストーリー、大げさな悲劇も喜劇も必要ないということを伝えてくれる小説です。興奮した、刺…

もし俵屋宗達が「最後の晩餐」を見ていたら? 〜「風神雷神」原田マハ

京都国立博物館で俵屋宗達を研究する望月彩のもとへ、アポ無しでマカオ博物館の研究員が面会を求めてきました。要請を受けてマカオを訪ねた彩は、古い教会跡から発掘された1枚の油絵と日本語の古文書の束を見せられます。 油絵に描かれているのはギリシャ神…

白い舞台に 彫り込まれた人間群像 〜「壬生義士伝」浅田次郎

読みながら何度か、涙腺が緩んでしまったのです。「やっぱり、やられちまうなあ」と苦笑いし、こっそり手の甲を目尻に持っていくことになりました。誰かに見られていないか、辺りを気にしながら。本の奥付を見ると2002年だから、17年ぶりの再読になります。 …

現代的で古典的 心に届く恋愛悲劇 〜「マチネの終わりに」平野啓一郎

映画も公開される恋愛小説のロングセラー。野暮な批評なんて、どーでもいい雰囲気なのが「マチネの終わりに」(平野啓一郎、文春文庫)です。そもそも優れた恋愛小説ほど、読んで楽しめばいいのであって、その先は何も必要ないのかも。だから、終わり。 とい…

演目が終わって 粋なアンコール 〜「祝祭と予感」恩田陸

「蜜蜂と遠雷」の主要登場人物たちのエピソードを集めた短編集が「祝祭と予感」(恩田陸、幻冬社)です。時間的には前作の舞台になった芳ケ江国際ピアノコンクールの後、あるいは前と、収録された6編はそれぞれです。 映画の公開に合わせて発売されたスピン…

さりげない 短編の魔術 〜「おめでとう」川上弘美

なぜこの本なのかなあと、自分でも思います。この人ならまず「真鶴」とか「センセイの鞄」とか。確かにそうなんだよね、なんですが。今日読んだある本について書く気が起きず、そんなときは狭いこの部屋の書架から、「口直し」(今日読んだ作家さん、ごめん…

磨かれる前の原石 〜「こちらあみ子」今村夏子

「むらさきのスカートの女」を読んで、今村夏子さんという作家がこれまでどんな作品を書いてきたのか知りたくなりました。さっそく手にしたのが、デビュー作の「こちらあみ子」(筑摩書房、2011年初版、三島由紀夫賞&太宰治賞受賞作)です。 もし「むらさき…

「ふつう」と「あちら」の鳥獣戯画 〜「コンビニ人間」村田沙耶香

コンビニという生き生きとして、無色で、いつの間にか社会に溶け込んだ現代的な空間。そのコンビニを支える有能な1部品としてのみ、社会と正常に関わることができる36歳、未婚で処女の恵子。「コンビニ人間」(村田沙耶香、文藝春秋)を読んで、実は困ってし…

 わたし と 私 〜「むらさきのスカートの女」今村夏子

優れて斬新な世界をかたちにして、わたしたちに見せてくれるのは、この20年ほど圧倒的に女性作家が多いと思います。なぜなのかと、最新の芥川賞受賞作である「むらさきのスカートの女」(今村夏子、朝日新聞出版)を読んで考えてしまいました。 むらさきのス…

傷つき、損なわれたもの 〜「私の消滅」中村文則

「私の消滅」(中村文則、文春文庫)を読んで感じたのは、「ああ、またおかしな所に連れていかれたな」という<気分>でした。かつては親しい感覚だったけれど、就職して働いて、稼いで、あくせくする歳月を長く重ねる向こう側に、置き忘れてきた遠い感覚。…

愛憎、矛盾を孕みながら 母と娘 〜「放蕩記」村山由佳

エキセントリックで、性格や行動に歪みのある母に育てられた娘が、やがて大人になって母との関係にどう立ち向かい、新しい自分を作り出していくか。「放蕩記」(村山由佳、集英社文庫)は、ただその一点に向けて積み上げられた長編です。 母と娘であれ、父と…

十人十色の個性 短編の楽しみ 〜「短編工場」 浅田次郎他12人

短編小説の魅力とは何か、と問われたなら、わたしは「一刀彫りの鮮やかさ」と答えます。一本の彫刻刀でざっくり彫り上げる、刃先の鋭さと角度が生み出す面白さ。彫刻でいえば、手とか顔とか、胴体だけとか、一部を大胆に彫り上げて背後に広がりを獲得した作…

3姉妹が織りなす京都 〜「手のひらの京」綿矢りさ

わたしは京都生まれではないし、住んだこともありません。仕事で、旅行者として、何度か訪れた古都。日本の歴史は嫌いでないし、好きな仏像や記憶に残る場所、シーンもかなりあります。しかし、当たり前ですが通り過ぎる者としての視点しか持ち得ません。 「…

一つの声が届くまでの時間について 〜「ノルウェイの森」村上春樹

なぜ今ごろこの小説を...と言われそうですが、きっかけは9月11日が「公衆電話の日」だったからです。これに引っかけて、翌12日のある新聞に減り続ける公衆電話の記事が載っていました。1900年(明治33)に、日本で初めての公衆電話が上野駅、新橋駅に設置さ…

人はどこにかえるのか 〜「山中静夫氏の尊厳死」南木佳士

流し読みできない作品、読み始めて思わず背筋を伸ばす作品というものがあり、わたしにとって「山中静夫氏の尊厳死」(南木佳士、文春文庫)は、そんな1冊でした。南木(なぎ)さんは「ダイヤモンドダスト」で第100回芥川賞を受賞。「医学生」「阿弥陀堂だよ…

年に1度の逢瀬 幻の3日間 〜「風の盆恋歌」高橋治

9月1日から3昼夜続く、富山市・八尾の「おわら風の盆」が始まりました。指先1本1本まで芯が通って乱れない、踊りの美しさ。胡弓と三味線が鳴らす、緩やかで切ない地方(じかた)の調べ。歌い手が息長く、高い声で歌い上げる正調おわら。おわらの歌詞はたくさ…

切なく、冷たく 〜「雪国」川端康成

50歳を過ぎて「雪国」(川端康成、新潮文庫)を再読したとき、男と女を描いてこれほどまでに艶(なまめか)しい小説だったのかと、唖然としました。つんと底冷えする雪国だからよけい、一途に織り上げられていく「女」が切ないのですね。 逗留する越後湯沢の…

SF史に衝撃の1冊 中国現代文学から 〜「三体」劉慈欣

書店の新刊本や文庫本コーナーをぶらぶらして、何冊か手に取り、食指は動くけれど買う決意のつかないことがよくあります。「あれ、まだ読み終わってないし」と、机の上の2、3冊を思い出したりして。「でも、どうせいつか買うなら、今買っておこうか」と思い…

だから、傷つく。血を流す。深く生々しく 〜「かんかん橋を渡ったら」あさのあつこ

中国地方の静かな山あいにある、寂れた温泉町。流れる一本の川に、人しか通れない石の橋が架かっています。町の子どもたちはみんな、その橋を渡って川向こうの小学校に通い、昔、花嫁はその橋を越えて町へ嫁いできました。橋は、過酷で、ときに華やかに見え…

抒情的な風景の お行儀の悪い話 〜「夕暮まで」吉行淳之介

「夕暮まで」(吉行淳之介、新潮社)を再読すると、いまの時代、男と女のお伽噺のようにさえ思えます。1978年初版。野間文芸賞を受賞し、当時は中年男性と若い愛人を指す「夕暮れ族」という流行語まで生まれました。男女の1年半の関係を、7編の連作で構成し…

こわれていく「人」というもの 〜「百花」川村元気

読後、最初に書く感想として適当ではありませんが、改めて本を眺め、カバー写真も含めて黄色をベースにした「いい装丁だな」と思いました。読む前は少しもそんなことを意識していませんでした。読み終わって初めて、静かにもの悲しい本の佇まいが際だって見…

桁外れなダイナミズム 〜「絶影 チンギス紀五」北方謙三

史上最大規模の世界帝国・モンゴル帝国の基礎を築いた、チンギス・ハンの生涯を描く北方謙三さんのライフワークが、最初の節目の第5巻まできました。といっても「絶影(ぜつえい) チンギス紀五」(集英社)で、将来のチンギス・ハンであるテムジンは、まだ…

別れの言葉は? 8つのSF短編集 〜「さよならの儀式」宮部みゆき

「さよならの儀式」(宮部みゆき、河出書房新社)は、8編で構成されたSFの短編集です。連作ではなく、完結するそれぞれの語りを、1話ずつ楽しむ1冊になっています。宮部さんには江戸時代を舞台にした「あんじゅう」のような怪奇談シリーズがありますが、「舞…