ことばを食する

くーの、極めて私的な読書覚え書き。誰かにお薦めできると思った本を取り上げます

小説

手首から外し、川に投げ捨てたものは 〜「午前三時のルースター」垣根涼介

最初に読んだ「光秀の定理」が面白かったので、次も読むとすれば定評のある作品の前に、まずはデビュー作。「午前三時のルースター」(垣根涼介、文春文庫)は、読者を引っ張るストーリーのテンポと結末に、小説家としての大きな資質を感じました。シンプル…

一期は夢よ ただ狂へ 〜「光秀の定理」垣根涼介

「光秀の定理」(垣根涼介、角川文庫)を読みながら、ひさびさに小説というものを満喫しました。個性豊かな人物たちの造形と展開は見事で、しばしば味わい深い。わたしは垣根さんは初読でしたが、最後のページを閉じて思わず「これは、これは...」と、心の中…

おじいちゃんに大人気 その秘密は? 〜「ささやく河」藤沢周平

知人に、図書館司書の女性・Sさんがいます。 「藤沢周平って、60代後半以降のおじいちゃんたちに、すごい人気なんだよねー。なんであんなに借りていくんだろ」 と首をかしげるのです。なんとなく理由を説明できる気もするのですが、短く端的な言葉が浮かびま…

偉大なる 昭和のオヤジ 〜「天才」石原慎太郎

「天才」(石原慎太郎、幻冬舎文庫)とは、だれか。カバー写真にある通り、国民の絶大な支持を得た総理大臣、そしてロッキード事件で逮捕、受託収賄罪で有罪判決を受けた田中角栄です。この小説の面白さは、書いた石原慎太郎さんが、当時は「田中金権政治」…

「平成」と呼ばれた時代とは... 〜「インタビューズ」(堂場瞬一、河出書房新社)

1989年から2019年までの30年間、毎年大晦日に渋谷のスクランブル交差点で無作為にインタビューし、「今年一番印象的だった事件や出来事」について語ってもらう。インタビュアーは堂場さん本人が実名で登場します。こうして集めた約300人の記録から、年齢、性…

祈りのポリフォニー(多声音楽) 〜「優駿」宮本輝

一頭の馬の、誕生。まだ肌寒い北海道の小さな牧場。大自然の中で零細な牧場を営む一家が、大きな借金をして夢を託し、種を付けた牝馬(ひんば・お母さん馬)から、漆黒の体の仔馬が産まれます。顔に星の形をした白い毛の刻印を持って。 「優駿」(宮本輝、新…

粋なハードボイルド・ミステリー 〜「消えた女」藤沢周平

若いころは、なかなか分からないんだよなあ...などとうそぶいてみるのは、年寄りの権利です。いや、単にわたしがかなり偏向した読書歴を持った年寄りだから、というに過ぎないのですが。 えっ、時代物?。武士とか町人とか、岡っ引の平次みたいのが出てくる…

鮮やかに浮かび上がり 消えていく人びと 〜「いのちの姿 完全版」宮本輝

はじめて読んだ宮本輝さんの小説が何だったか、もう記憶が定かでありません。デビュー作で太宰治賞を取った「泥の河」だったか、芥川賞の「蛍川」だったか。前後して村上春樹、村上龍さんがデビューした時期で、当時はこの2人に比べると地味な印象でした。 …

心に滲みる『奇跡』 〜「桜風堂ものがたり」村山早紀

「癒し」という言葉がよく使われるようになったのは、いつごろからでしょうか。裏を返せば、人びとが癒しを求めるほど、この社会が住みにくくなり始めたのはどの時点だったのだろう。 読む人によって受け止め方は違うにしても、「桜風堂ものがたり」(村山早…

汗と涙と、友 狂おしく切ない青春記 〜「七帝柔道記」増田俊也

北海道大学柔道部に憧れ、二浪して入学した<私>が、ディーゼル機関車に揺られて札幌駅に着くところから、「七帝柔道記」(増田俊也、角川書店)は始まります。4月だというのにホームにはまだあちこち雪が残り、吐く息は白く...。 そこから展開するのは汗…

あの物語は何だったのか 〜「一杯のかけそば」栗良平

「一杯のかけそば」(栗良平、角川文庫)という短い物語が、ブームを超えて社会現象にまでなったのは、バブル景気さなかの1989年でした。もともとは作者が語り部になって口演行脚していた話が活字になって話題になり、NHKで朗読され、国会の質疑にも登場しま…

カセットテープに残されていた過去 〜「罪の声」塩田武士

どっしりと、骨太な面白さで一級品です。 グリコ・森永事件。有名企業の社長を誘拐して身代金を要求し、マスコミに警察を揶揄する挑戦状を送りつけ、青酸入りのお菓子を店頭にばら撒き、しかも犯人グループは逮捕されることなく迷宮入り。40代後半以降の方に…

本さえあれば孤独ではない 〜「書店主フィクリーのものがたり」ガブリエル・ゼヴィン

島に一軒だけある本屋さんの偏屈な店主(まだアラフォー)。お好みでない本は....ポストモダン、最終戦争後の世界という設定、死者の独白、あるいはマジック・リアリズム。才気走った定石的な趣向....などなど。 文学の研究者だった妻と始めた小さな本屋です…

心の闇に埋もれたもの 憎悪か愛か 〜「この世の春」宮部みゆき

人の心の闇、しかも生きるために自分で封印した記憶の闇であるなら、ほんとうは触れずにそっとしておくのが一番かもしれません。しかしその闇を抱えるがゆえに、狂気との瀬戸際に立つ本人が死に向かっていると分かれば、そうもいきません。苦しむのが純真で…

正義や理想があるから 悲劇が生まれる 〜「道誉と正成」安部龍太郎

高校までで学ぶ歴史がつまらないのは、年代や出来事の丸暗記を求められるからです。教科書では太古から現代まで、人の生き様や社会のストーリーが語られることはありません。しかも奈良、平安、鎌倉、室町、戦国...などと時代ごとに章でぶつ切りにして、それ…

彼だけがたどりつけた 松林図の世界 〜「等伯」安部龍太郎

能登半島の入り口にある石川県七尾市は、海に面した静かな市です。前田藩の城下町である金沢より、海路を使えば越中(富山)に近く、万葉時代からから良港を持つ海運の地として栄えました。栄えた面影は既になく、今は人口減少に悩む地方都市の一つですが、…

高校球児殺害に挑む 老犬+加代ちゃん 〜「パーフェクト・ブルー」宮部みゆき

日本の小説に探偵という職業は向かないという指摘を、どこかで読んだ記憶があります。もちろん江戸川乱歩の明智小五郎、横溝正史の金田一耕助をはじめ、日本にも名探偵はいますが、シリアスな設定の現代小説で探偵という職業は確かに使いづらいと思います。…

まっすぐに生きる 裁判の勝者は? 〜「沈黙法廷」佐々木譲

フリーで家事代行を営む地味な女性。彼女の仕事先で、独り暮らしの男性が絞殺されます。やがて、60代の独り暮らし男性の不審死が複数、彼女の周囲で起きていたことが明らかになり...。「沈黙法廷」(佐々木譲、新潮文庫)は骨格がしっかりしているから、安心…

童話のような 小説のような 〜「食堂かたつむり」小川糸

細部の描写や比喩の感性、文章のリズムがいい。さらさらと小川を流れる、透明な水のような味わいです。一方で細部を積み上げた「作品」として全体を見ると、かなりツッコミどころがあるかな。「食堂かたつむり」(小川糸、ポプラ文庫)は失恋して声を失った…

人はむかし 交尾して子を産んだ 〜「消滅世界」村田沙耶香

才能ある作家が、束縛なく想像力を解き放った作品だと思いました。「消滅世界」(村田沙耶香、河出書房新社)は、作家仲間から「クレイジー沙耶香」と呼ばれる村田さんの世界そのもの。誰にも似ていないし、真似もできません。ページをめくれば、読者を引き…

かけがえのなさとは 物語に癒やされて 〜「ツバキ文具店」小川糸

はたして小説に「癒やし系」というジャンルがあるのかどうか分かりませんが、「ツバキ文具店」(小川糸、幻冬舎)はそんな1冊でした。いい作品には派手な道具立てやストーリー、大げさな悲劇も喜劇も必要ないということを伝えてくれる小説です。興奮した、刺…

もし俵屋宗達が「最後の晩餐」を見ていたら? 〜「風神雷神」原田マハ

京都国立博物館で俵屋宗達を研究する望月彩のもとへ、アポ無しでマカオ博物館の研究員が面会を求めてきました。要請を受けてマカオを訪ねた彩は、古い教会跡から発掘された1枚の油絵と日本語の古文書の束を見せられます。 油絵に描かれているのはギリシャ神…

白い舞台に 彫り込まれた人間群像 〜「壬生義士伝」浅田次郎

読みながら何度か、涙腺が緩んでしまったのです。「やっぱり、やられちまうなあ」と苦笑いし、こっそり手の甲を目尻に持っていくことになりました。誰かに見られていないか、辺りを気にしながら。本の奥付を見ると2002年だから、17年ぶりの再読になります。 …

現代的で古典的 心に届く恋愛悲劇 〜「マチネの終わりに」平野啓一郎

映画も公開される恋愛小説のロングセラー。野暮な批評なんて、どーでもいい雰囲気なのが「マチネの終わりに」(平野啓一郎、文春文庫)です。そもそも優れた恋愛小説ほど、読んで楽しめばいいのであって、その先は何も必要ないのかも。だから、終わり。 とい…

演目が終わって 粋なアンコール 〜「祝祭と予感」恩田陸

「蜜蜂と遠雷」の主要登場人物たちのエピソードを集めた短編集が「祝祭と予感」(恩田陸、幻冬社)です。時間的には前作の舞台になった芳ケ江国際ピアノコンクールの後、あるいは前と、収録された6編はそれぞれです。 映画の公開に合わせて発売されたスピン…

さりげない 短編の魔術 〜「おめでとう」川上弘美

なぜこの本なのかなあと、自分でも思います。この人ならまず「真鶴」とか「センセイの鞄」とか。確かにそうなんだよね、なんですが。今日読んだある本について書く気が起きず、そんなときは狭いこの部屋の書架から、「口直し」(今日読んだ作家さん、ごめん…

磨かれる前の原石 〜「こちらあみ子」今村夏子

「むらさきのスカートの女」を読んで、今村夏子さんという作家がこれまでどんな作品を書いてきたのか知りたくなりました。さっそく手にしたのが、デビュー作の「こちらあみ子」(筑摩書房、2011年初版、三島由紀夫賞&太宰治賞受賞作)です。 もし「むらさき…

「ふつう」と「あちら」の鳥獣戯画 〜「コンビニ人間」村田沙耶香

コンビニという生き生きとして、無色で、いつの間にか社会に溶け込んだ現代的な空間。そのコンビニを支える有能な1部品としてのみ、社会と正常に関わることができる36歳、未婚で処女の恵子。「コンビニ人間」(村田沙耶香、文藝春秋)を読んで、実は困ってし…

 わたし と 私 〜「むらさきのスカートの女」今村夏子

優れて斬新な世界をかたちにして、わたしたちに見せてくれるのは、この20年ほど圧倒的に女性作家が多いと思います。なぜなのかと、最新の芥川賞受賞作である「むらさきのスカートの女」(今村夏子、朝日新聞出版)を読んで考えてしまいました。 むらさきのス…

傷つき、損なわれたもの 〜「私の消滅」中村文則

「私の消滅」(中村文則、文春文庫)を読んで感じたのは、「ああ、またおかしな所に連れていかれたな」という<気分>でした。かつては親しい感覚だったけれど、就職して働いて、稼いで、あくせくする歳月を長く重ねる向こう側に、置き忘れてきた遠い感覚。…