ことばを食する

私的な読書覚え書き。お薦めできると思った本を取り上げます

小説

ハードボイルドへのオマージュ 〜「ピットフォール」堂場瞬一

舞台は1959年、60年あまり過去のニューヨーク。戦後の繁栄を誇る大都会には、根強い人種差別や、不用意に踏み込めば身に危険が及ぶエリアがあちこちにあります。都会の表と裏を渡り歩いて殺人鬼を追う主人公・ジョーは、元ニューヨーク市警の刑事で、独り者…

<僕>と<世界>の息詰まる関係 〜「掏摸」中村文則

見ているけど見えていない、聞こえているけれど、聴いていない。つまり、いつの間にか「ぼー」と放心しているとき、突然肩をたたかれたら、ぎくりと条件反射します。 普段は周囲に張り巡らせている五感のセンサーが麻痺していて、いきなり何かに自分が鷲掴み…

だれにも届かない声 〜「52ヘルツのクジラたち」町田そのこ

<52ヘルツのクジラ>とは何か。普通のクジラの鳴き声は10ー39ヘルツの周波数。ところが52ヘルツで鳴くクジラがいて、世界で一番孤独だと言われているそうです。仲間のクジラに、その声は高すぎて聞こえないから。 2021年本屋大賞の第1位になった「52ヘルツ…

涙腺狙い打ち ファンタジーの魅力 〜「かがみの孤城」辻村深月

ファンタジーであり、ミステリーであり、そして、読書の時間を理屈抜きに楽しませてくれる小説です。「かがみの孤城」(辻村深月、ポプラ社)は、2018年の本屋大賞受賞作。 中学に進学したばかりの<こころ>は、名前の通り繊細な心を持つ、どこにでもいる女…

危ないですから黄色い線まで.... 〜「JR上野駅公園口」柳美里

「JR上野駅公園口」(柳美里=ゆう・みり=、河出文庫)は、2020年に全米図書賞を受賞したことで、日本でも多くの人が手に取った1冊です。わたしもその一人で、柳美里さんの作品は初読でした。 いい作品が必ずしも売れると限らない以上、どんな経緯を経るに…

切なくも胸にせまる.. まあ、確かに 〜「劇場」又吉直樹

又吉直樹さんの芥川賞受賞作「火花」には、次も読んでみようかと思わせる何かがありました。そして手に取ったのが「劇場」(新潮社)です。 帯のキャッチには「切なくも胸に迫る恋愛小説」。なるほど、ストレートにそのままの作品です。主人公の<僕>は、ア…

心の迷宮 血は流れて雪はやまない 〜「冷たい校舎の時は止まる」辻村深月

わたしはお化けとか超常現象の類を、これっぽっちも信じません。確かに時には面白いけれど、フィクションの世界。と、分かっているはずなのに、実は怖がりなのです。頭で考えていることに反して、体が反応してしまう。 「冷たい校舎の時は止まる」(辻村深月…

自然を知らないわたしたち 〜「邂逅の森」熊谷達也

もののけ姫の世界が蘇った ブログを通じた知人、レノンさんが「邂逅の森」(かいこうのもり 熊谷達也、文藝春秋)について記した文章を読み、思わず「なるほど」と膝を打つ思いでした。 もののけ姫かあ。この作品の世界観をこんなふうに分かりやすく言い切る…

推しは<人>になった あたしは? 〜「推し、燃ゆ」宇佐見りん

もともと、二十歳前後の、しかも女性が書いたアイドル追っかけ小説に、わたしがついていけるはずもない。第164回芥川賞を獲得した「推し、燃ゆ」(宇佐見りん、河出書房新社)です。 同年代のみなさんのために少し事前解説すれば、「推(お)し」は動詞では…

風前のともしび 燃え盛る 〜「のぼうの城」和田 竜

歴史小説は、信長や秀吉を代表とする戦国の覇者たち、あるいは彼らを支えた人物に焦点を当てるのが本流です。おなじみ、NHKの大河ドラマの原作になるような作品群。でも、普通は表に出てこない歴史の支流にも、魅力的な人物はたくさんいたはずです。 「のぼ…

朝がきて、働いて、コップ酒で1日が終わる 〜「苦役列車」西村賢太

草食ではなくて肉食。若い男の体臭が、むんむん臭ってくる小説です。ただしライオンのような猛々しさ、かっこよさは微塵もありません。 汗、酒、煙草、そして浅ましさや愚かさ。冷酷になれないから、犯罪者にもなれない平凡さ。しょせん俺とうい人間はこうな…

ヒマワリの悲しい秘密 〜「盤上の向日葵」柚月裕子

前半を読んだ段階では、「盤上の向日葵」(柚月裕子、中央公論新社)をブログに書くかどうか迷いました。わたしの中でプラスよりもマイナスが上回る作品については、書かないことにしています。 何度か中断しながら読み続けるうち、後半から面白くなって、最…

涙が出るほど哀くて、笑ってしまう 〜「火花」又吉直樹

お笑い芸への愛情と切なさが、ひしひしと伝わってきました。愛情が深ければ苦悩も深く、文章からは文学への真っ直ぐな思いが漂ってきます。う〜ん、これは心に残る秀作ですね。 「火花」(又吉直樹、文藝春秋)を今ごろ読んで、褒め言葉を並べているのだから…

きっと彼女を探し出す 〜「ノーマンズランド」誉田哲也

「ノーマンズランド」(誉田哲也、光文社文庫)を読みました...と書くと、すかさず「おいおい、前回こんなの4冊買いましたと、なんだかんだ言ってたのと違う本じゃないか!」と突っ込まれそうですが、はい、違うのです。申し訳ありません。まあ、寂れたブロ…

わたしは果てない夢をみる 〜「三度目の恋」川上弘美

「むかしむかし....」で始まる、おばあちゃんの昔話。語りの前置きとして、各地の方言に形を変えながら伝わってきた、あるフレーズがあります。 ありしか なかりしか知らねども あったこととして聞かねばならぬぞよ これ、直裁で素朴で、かつ<物語>という…

彼は散った 〜「歳月」司馬遼太郎

ファンと言うほどではないけれど、気づいてみれば司馬遼太郎さんの歴史小説を結構読んできました。戦国時代、幕末から明治維新など、激動期の人間像を描き出して歴史の奥行を俯瞰させてくれる小説群は抜群に面白い。 でも、この<面白い>と言う言葉はけっこ…

ドストエフスキー 〜作家つれづれ・その1

異常気象で雪が積もらなかった昨年と打って変わり、いつもの冬がやってきました。朝、目が覚めて見れば一面の銀世界。まるで世界をリセットしたよう。庭のサクラも雪をまとって、枝垂れ桜みたいな風情になっていました。 (今朝の庭) わたしの住む地では、基…

不可思議な シュールな 〜「ワカタケル」池澤夏樹

やはりこれは、歴史小説と呼ぶべきなのでしょうか。「ワカタケル」(池澤夏樹、日本経済新聞出版)は、5世紀後半の古墳時代を舞台に、ワカタケル=雄略天皇=を描いた作品です。 第21代天皇・雄略は、古墳から出土した鉄剣に彫られた銘に名が確認され、考古…

彼は立ち止まらない 〜「久遠」など刑事・鳴沢了シリーズ 堂場瞬一

最近<リーダビリティ readability>という言葉を知りました。「先へ先へと読ませる力」という意味でしょうか。あの作家はリーダビリティが高い、といった使い方をするようです。 いい小説の条件を考えるなら、結局は「面白いか否か」というシンプルな出発点…

魔王・信長か 繊細な天才・光秀か 〜「国盗り物語」司馬遼太郎

小学生の男の子は、わりと様々な<○○少年>時代を過ごすものです。わたしに関して言えば、夏休みの<昆虫採集少年>だったり、放課後の<野球少年>だったり。少し珍しいと思うのは、一時期<発掘少年>だったことでしょうか。 自転車で10数分で行ける丘陵地…

なぜ信長は光秀に討たれたか 〜「信長の原理」垣根涼介

少年は蟻を見ていた。 暑い夏の午後、しばしば飽くこともなく足元の蟻の行列を見続けていた。 周囲から煙たがられ、母からも疎まれるこの少年は、吉法師(きっぽうし・織田信長の幼名)。「信長の原理」(垣根涼介、角川文庫)は、蟻を見つめるシーンから始…

古い本に味わいあり 〜「白描」ほか 石川淳選集第2巻

同級生が先日、フェイスブックでこんなコメントをわたしによこしました。 「ほぼ現役を終えた年代である今は、お互いにやり残したことを潰していくときにしたい」 元公務員の彼は、少子高齢化でさびれ続ける地域を活性化しようと、地元で活動する若い演劇人…

日本史年表と小説 大河の一滴 〜「絶海にあらず」北方謙三

気づけば秋分の日を過ぎ、日没がずいぶん早くなりました。秋の夜長とはよく言ったもので、隣の部屋のテレビから聞こえてくるローカルニュースを聞き流しながら、窓からの夜風に深呼吸。昼に読み終えた本を思い起こし、日本史の年表をめくったりしています。 …

凛として健気 そして傷だらけにうるうる 〜「少年と犬」馳星周

そもそも直近の直木賞受賞作について、こんな偏った言い方はあまり適切でないのですが...「なにせ犬好きにはたまらない小説です!」。犬に興味がない人にも、たぶん...。 いやわたし、ネコに限るという人の気持ちを推しはかることはできないので、断定はでき…

淡々と語られる孤独 密かにシュール 〜「首里の馬」高山羽根子

2020年上半期の芥川賞は受賞2作で、どちらを読むか迷って選んだのが「首里の馬」(高山羽根子、新潮社)でした。たまたま高山さんと地縁によるつながりがあるという、深い説得力に欠ける単純明快な理由です^^;。 単行本で150ページ余りなので、わりとさ…

白骨と雪 山に行った日 〜「楢山節考」深沢七郎

姥捨山とは。食糧の乏しい山間部の集落で「口減らし」のために、ある年齢に達した老人を山に棄てる物語です。生きるための厳しい営み、因習に塗り込められた村社会。日本各地に伝わる棄老伝説を、文学として見事に昇華させたのが「楢山節考」(深沢七郎、新…

真面目な下ネタ比較論? 〜「現代語訳 日本書紀」(福永武彦訳)

「古事記」と「日本書紀」。日本最古の歴史書・2書を称して「記紀」は、その昔教科書に出てきました。当時、テスト対策で覚えるために「古事記、古事き、こじき」と暗唱にすると、条件反射みたいに乞食さんの集まりが頭の中に浮かんで...。そんな記憶がよみ…

夢幻の如くなり 〜「戦の国」冲方丁

織田信長、上杉謙信、明智光秀、大谷吉継、小早川秀秋、豊臣秀頼。戦国時代を生きた6人の武将の生き様の、1断面を切り取った連作短編集が「戦の国」(冲方丁、講談社文庫)です。 冒頭に置かれた「覇舞踊(はぶよう)」は、信長を描いた作品。1560年、桶狭間…

「1本!」赤か白か 本は楽しい 〜「武士道セブンティーン」&「エイティーン」誉田哲也

前稿で、大岡信さんの「詩の日本語」について難渋しながら読了と書きましたが、併読していたのが「武士道セブンティーン」「武士道エイティーン」(誉田哲也、文藝春秋)の2冊です。 シリーズ1作目の「武士道シックスティーン」が面白かったので、ヤフオクで…

斬るか斬られるか ん、女子高生が? 〜「武士道シックスティーン」誉田哲也

ただ相手を斬ることしか、今は考えていません。勝ち負け、でもなく、ただ斬るか、斬られるか....それが剣の道だと思っています。 これ、16歳の女子高生が剣道部顧問の先生に吐くセリフです。彼女がボロボロになるまで読み続けているのが新免武蔵(別名という…