ことばを食する

私的な読書覚え書き。お薦めできると思った本を取り上げます

小説

<小説>というカテゴリーに説明不要だと思いますが、日本、海外の作家によるフィクションです。

事実と真実 そして哀しみに至る 〜「朱色の化身」塩田武士

昭和31年4月23日、フェーン現象で乾燥した強風が吹き荒れる朝、福井県の国鉄芦原駅前の商店から出た火は、福井を代表する温泉街・芦原温泉を焼き尽くしました。「朱色の化身」(塩田武士=たけし=、講談社)は、炎に追われ焼け出された人びとの群像を活写し…

謎解きがたどり着く静かな光 〜「ノースライト」横山秀夫

解けそうもないさまざまな謎の断片が、終盤になって一気に像を結び、幾つもの魂のうめきが聴こえてきます。別れた夫婦、父と子、友。作中で語られる人間関係はどれも軋みを発し、現在と過去の3人の死がストーリーを動かします。 だからと言って「ノースライ…

「はあ」..「やれやれ」とその後 〜村上春樹&映画「ドライブ・マイ・カー」

少し前のことになりますが、アカデミー賞を獲得して話題になった映画「ドライブ・マイ・カー」(濱口竜介監督、西島秀俊主演)を観に行ったのは、4月下旬の大型連休前の平日でした。話題の映画だったにもかかわらず空席が目立ったのは新型コロナのせいか、2…

生き抜くために今はただ敵を.. 〜「同志少女よ、敵を撃て」逢坂冬馬

今年の本屋大賞はちょっと肌触りが違うようだ...と、受賞作紹介文で思い、本屋さんではタイトルとカバーイラストにやや尻込みしたけれど、やっぱり買うことにして、読み始めれば「うん、悪くない」と何度もにんまりしたのが「同志少女よ、敵を撃て」(逢坂冬…

楽しく諧謔に満ちたお話はいかが? 〜「お伽草子」太宰治

日本の昔話、説話に材を取った「お伽草子」(太宰治、新潮文庫)が書かれたのは、昭和20(1945)年3月から7月にかけて、米軍による空襲が激しくなった時期です。太宰も疎開先の家を焼夷弾に焼かれ、書き上げたばかりの原稿を抱えて炎から逃げたりしました。…

本当は怖すぎる 大人の童話 〜「地球星人」村田沙耶香

長野の山奥にある祖父母が暮らす家へと、曲がりくねった坂道を父が運転する車は進みます。乗っているのは母と姉、そして小学校5年の<私>。お盆には毎年、その山奥の家におじさんやおばさん、従兄弟たちが集まるのです。 「地球星人」(村田沙耶香、新潮文…

浮世絵の男とゴッホ 〜「たゆたえども沈まず」原田マハ

日本人は印象派の画家たちが大好きです。モネの「睡蓮」、ルノアールが描いた少女や女性たち、ドガの踊り子、ゴッホの「ひまわり」や「星月夜」...。(厳密には、ゴッホは「ポスト印象派」とされています) もし私が美術館の学芸員・キュレーターで、上司か…

その生き様 静かに一気読み 〜「朱より赤く 高岡智照尼の生涯」窪美澄

明治の終わりから昭和にかけ、時代の耳目を集めた女性としてわたしがまず思い浮かべるのは柳原白蓮です。<大正の三美人>と称された一人で、歌人。父は伯爵という超エリートの血筋。 波乱にみちた生涯については、林真理子さんの「白蓮れんれん」(集英社文…

江戸の「景色」に遊ぶ 〜「鬼平犯科帳」池波正太郎 その2

師走のころから立春を過ぎたここまで、大きなエネルギーを注がざるを得なかった仕事にようやく一区切り、一息ついて、さてどうしようかと、焼酎お湯わりを舐めていた昨夜、手にしたのは「鬼平犯科帳」(池波正太郎、文春文庫)の16冊目でした。 このシリーズ…

芥川君、君、先生の『こころ』を読みましたか? 〜「ミチクサ先生」伊集院静

夏目漱石の生涯を読み進むにつれ、いつの間にか自分も、同じ空気を吸い、同じ時間を生きているように思われてきます。「ミチクサ先生」(伊集院静、講談社)は、漱石を軸にしながら、正岡子規ら日本の近代文化を切り拓いた若者たちにスポットを当てた群像劇…

男と女のどろどろは、ついに心理小説へ 〜「源氏物語」瀬戸内寂聴訳その7

12月にもなれば、北陸は雪の気配です。冷たい雨やみぞれを降らす雲で空は覆われ、晴れる日が少なく、やがて分厚い雪雲に変わっていきます。昼過ぎにはもう、雲の向こうの見えない日没に向かって、長い夕暮れが始まる気がするのです。 若いころはそんな鬱々と…

生きることの哀しみ 温かさ 〜「泥の河」「蛍川」宮本輝 

デビュー作には作家のすべてがあると言うけれど、「蛍川・泥の河」(宮本輝、新潮文庫)を読んで確かにその通りだと思いました。 「泥の河」という短い小説は、昭和30年の大阪の場末を舞台に、一人の男のあっけなくも悲惨な死から物語が始まります。のっけか…

名文とは...結局、心地よくて面白い文章 〜「鬼平犯科帳」池波正太郎

今日読み終えた「鬼平犯科帳」7(池波正太郎、文春文庫)の巻末に、故・中島梓=小説家としてのペンネームは栗本薫=が、文体・文章について書いていました。これがなんとも興味深かった。というのも、わたしもまた池上さんの文体について、ずっと気になって…

女のハードボイルドは男を凌ぐ 〜「ブルース Red」桜木紫乃

「いい体してるよね」莉菜が言うと「ありがとうございます」と返ってくる。この女の良さは肌を出しても感情を露出させないことだ。(中略)「ないふり」は難しいものの「あるふり」が出来るのが感情だろう。余裕のない人間は、どこかで見たような言葉と表情…

切なくて重い、人というもの 〜「ある男」平野啓一郎

単行本が文庫版になって刊行されると、たいていは巻末に批評家や同業者による「解説」が付きます。ところが「ある男」(平野啓一郎、文春文庫)には解説文がない。むむ、これは...。 わたしは結構「解説」を読んで、その本を買うか買わないか決めるのですか…

国を支える「母」への道のり 〜「月と日の后」冲方丁

この世をばわが世とぞ思う望月の....と詠んで、権力をほしいままにした藤原道長。その娘・彰子(しょうし)の生涯を追い、怨念や陰謀渦巻く平安貴族の権力争いを描き出します。「月と日の后」(冲方丁=うぶかた・とう=、PHP)の斬新さは、どろどろした政争…

軽い気持ちで読むと.... 〜「貝に続く場所にて」石沢麻依

森に接した大学都市、ドイツのゲッティンゲン。留学中の<私>は人気ない駅舎の陰で、日本から訪ねてくる友人を待っています。 <私>は東日本大震災で被災した過去を持ち、ゲッティンゲンを訪ねてくる彼は、大学時代の美術史の研究仲間。沿岸部に住んでいた…

手練れ作家の、とっておきメニュー 〜「剣客商売」池波正太郎

「60半ば過ぎた男性って、どうしてあんなに時代物が好きなの?」 以前、わたしにそう問いかけたのは、とある公立図書館に勤める知人女性でした。貸し出し業務をしているので、今どんな本が人気か、仕事を通じて手にとるように分かるわけですが、時代物だけは…

「愛についてのデッサン」 〜野呂邦暢作品集 覚え書き

書店の文庫新刊コーナーを眺めていて、目に入ったのが「愛についてのデッサン 野呂邦暢作品集」(ちくま文庫)でした。 野呂邦暢(のろ・くにのぶ)という作家はずいぶん昔、たぶん大学生のころから知っていました。ただし、作品は未読だったけれど。<邦暢…

われらに罪なすものを 〜「瑠璃の雫」伊岡 瞬

辛い時、苦しい時に、明日からも人としてあることに、踏みとどまらせてくれるものとは何でしょうか。例えばそれが小説なら、どんなフィクションか。 主人公に自分を投影し(ここでまず、読者を引き込む作家の力量が問われます)、次々と降りかかってくる不幸…

画鬼の子に生まれて 〜「星落ちて、なお」澤田瞳子

明治22年に没した絵師・河鍋暁斎(かわなべ・きょうさい)。<画鬼>と称され、今その作品群を見れば、時代を超越した鬼才であることに驚きます。 「星落ちて、なお」(澤田瞳子=さわだ・とうこ、文藝春秋)は、暁斎の娘・とよ=後の絵師・暁翠=の生涯を描…

鉄砲を軸にした男たちの叙事詩 〜「五峰の鷹」安部龍太郎

中学生のころだったか高校だったか、鉄砲伝来について教科書でこう習いました。 種子島に漂着したポルトガル人が日本に鉄砲を伝えた。 正確な文面まで記憶にありませんが、この部分だけ妙に記憶に残っているのは、子ども向け冒険譚の一節のような空気を嗅い…

逝った人びとと、酒を汲み交わす時 〜「小屋を燃す」南木佳士

生きづらさを感じるとき、ささやかな救いになる言葉があります。 <起きて半畳 寝て一畳 一日喰らって二合半> 百姓であろうと天下人であろうと、一人の人間が生きるために必要なものは等しく同じ。置かれた立場や境遇とはかかわりない。そして「生きづらさ…

コロナ来襲、孤立無援の中の現場力 〜「臨床の砦」夏川草介

長野県の、ある医療圏。作品中に実際の固有名詞は出てきませんが、おそらく松本市を中心とした圏域において、新型コロナと戦う最前線の医師たちの姿を描いたのが「臨床の砦」(夏川草介、小学館)です。 医療崩壊、病床使用率などの言葉はこれまでよく耳にし…

ほろ苦くも、味わい深く 〜「俺と師匠とブルーボーイとストリッパー」桜木紫乃

沁みるなあ。 感動した、と表すのはどこか違う。目の前に新しい世界が拓けたとか、魂が揺さぶられたなど、そんな大げさではないのです。読んで涙することもない。ただ、沁みるなあ。 例えて言えば、大人には大人の癒され方があって、真夜中に一人で飲む酒が…

わたしの人生は誤りだったのか 〜「浮世の画家」カズオ・イシグロ

敗戦によって根底から社会の価値観が覆った1948年ー50年の日本を舞台に、ある画家の心の揺らぎを、一人称の<わたし>の世界として描いたのが「浮世の画家」(カズオ・イシグロ、飛田茂雄=訳、ハヤカワepi文庫)です。 戦時中に至るまでの<わたし>は著名…

ハードボイルドへのオマージュ 〜「ピットフォール」堂場瞬一

舞台は1959年、60年あまり過去のニューヨーク。戦後の繁栄を誇る大都会には、根強い人種差別や、不用意に踏み込めば身に危険が及ぶエリアがあちこちにあります。都会の表と裏を渡り歩いて殺人鬼を追う主人公・ジョーは、元ニューヨーク市警の刑事で、独り者…

<僕>と<世界>の息詰まる関係 〜「掏摸」中村文則

見ているけど見えていない、聞こえているけれど、聴いていない。つまり、いつの間にか「ぼー」と放心しているとき、突然肩をたたかれたら、ぎくりと条件反射します。 普段は周囲に張り巡らせている五感のセンサーが麻痺していて、いきなり何かに自分が鷲掴み…

だれにも届かない声 〜「52ヘルツのクジラたち」町田そのこ

<52ヘルツのクジラ>とは何か。普通のクジラの鳴き声は10ー39ヘルツの周波数。ところが52ヘルツで鳴くクジラがいて、世界で一番孤独だと言われているそうです。仲間のクジラに、その声は高すぎて聞こえないから。 2021年本屋大賞の第1位になった「52ヘルツ…

涙腺狙い打ち ファンタジーの魅力 〜「かがみの孤城」辻村深月

ファンタジーであり、ミステリーであり、そして、読書の時間を理屈抜きに楽しませてくれる小説です。「かがみの孤城」(辻村深月、ポプラ社)は、2018年の本屋大賞受賞作。 中学に進学したばかりの<こころ>は、名前の通り繊細な心を持つ、どこにでもいる女…