ことばを食する

私的な読書覚え書き。お薦めできると思った本を取り上げます

繰り返し読む本、読まない本

 本好きは、常に新しい出会いを求めています。書店で、図書館で、目立つよう平積みされた本をチェックし、次は林立した書架にぎっしり並ぶ背表紙を眺めてうろうろ。事前の情報収集で、読みたい本が決まっていれば、真っ直ぐお目当ての1冊に向かうこともあるでしょう。

 読んで面白かった本があり、またがっかりする場合もあります。本選びは、作品内容と自分とのマッチングを推測する「目利き」のようなもので、読書の楽しみはもうそこから始まっています。

 ときには、読み終えるのが惜しい本に遭遇します。ところがそんな1冊でさえ、再読することはめったにありません。

 音楽なら、お気に入りの曲を繰り返し聴きます。20代にLPレコードで出会ったG・グールドの演奏を、今はCDの音源をMacに取り込んで再生していたり。また、わたしの知人に落語好きがいて、彼は古典落語のCDを何枚か、飽きもせず運転中に楽しんでいます。

 これに対して本は、<再読率>が極めて低い。

 一度読んで、中身を知っているから?。でも古典落語など、ファンならストーリーの細部までとうに覚えていて、その上で名人の話しぶりに聴き入るのです。

 悲しいことに、本はたいてい、読了した満足感とともに読み捨てられます。貪欲な読者は次から次へと、新しい本を求める。わたしもその一人です。そして毎年、おびただしい数の新刊が現れて世の中に溢れています。

 そんなわたしの場合は、どんなときにどんな本を再読するか。

 理由は一つではありませんが、多いのは疲れたときです。読む前の「目利き」に疲れる。どれも、ほどほど面白そうで、ほどほどつまらなさそう。そうなると、面白いと分かっている既読本をもう一度...となることが多い。しかもシリーズものが好ましい。長い期間にわたって楽しめるからです。

 

 昨年の年末あたりから、再読が多くなっています。

 12月は池波正太郎さんの剣客商売シリーズ16冊。今年に入り、堂場瞬一さんの警察小説を10数冊再読し、2月末からは北方謙三さんの時代小説・日向景一郎シリーズでした。今回は読まなかったけれど、北方さんの大水滸伝は全50巻を超えるのに、これまで3度、前半部分は4度も読んでいます。

 こうした本たちは、わたしにとっての古典落語みたいなものかもしれません。語りのリズム(文体)を楽しみ、描かれる同じ人物像に何度も魅せられる。

 一方、これとは別の再読もあって、こちらはなかなか進みません。(以下はややマニアック、言葉を変えると「おたく」の世界に入ります。悪しからず^^;)

 先月から平野啓一郎さんの「三島由紀夫論」(新潮社)に取りかかりました。小説家である平野さんが、23年をかけた作品論であり作家論です。

 「『仮面の告白』論」

 「『金閣寺』論」

 「『英霊の声』論」

 「『豊穣の海』論」

 の4部構成、670ページ。三島の人生を4期に区分けし、それぞれの期の代表作を分析・考察して<三島由紀夫>という人間を露わにする試みです。読み始めれば緻密で静かにスリリング。書くべき人による、書かれるべき大作だったと感じます。

 

 わたしは遠い大学時代、三島をかなり読み込んだことがあり、平野さんの小説も心に残っていたので、書店で衝動買いした1冊です。ただ残念なことに、わたしの精神的エネルギーの許容量では1日4、50ページ進むのが限度。しかも日を置いて。

 かつ、読み始めてすぐ、この本を深く楽しむにはそれぞれの三島作品の再読が欠かせないと思いました。ようやく「『仮面の告白』論」を読み終えました。「『金閣寺』論」に進むには、三島の「金閣寺」を再読しなければなりません。

 やれやれ。この道楽(「三島プロジェクト」と命名しました^^;)は、お金はあまりかかりませんが、さて完遂できるだろうか。