ことばを食する

私的な読書覚え書き。お薦めできると思った本を取り上げます

古い本に味わいあり 〜「白描」ほか 石川淳選集第2巻

 同級生が先日、フェイスブックでこんなコメントをわたしによこしました。

 「ほぼ現役を終えた年代である今は、お互いにやり残したことを潰していくときにしたい」

 元公務員の彼は、少子高齢化でさびれ続ける地域を活性化しようと、地元で活動する若い演劇人を応援するなど、裏方としてさまざまに活動しています。

 さて、なぜわたしが石川淳を読み始めたのか。若いころ、気になる小説家でありながら短編をいくつか読んだだけで終わり、しかし心の隅にずっと引っかかってきた作家だからです。「やり残したことを潰していく」感じですね。

 小説家・石川淳を知る人は、今となっては少ないでしょう。明治32年に浅草に生まれ、戦前に「普賢」で芥川賞、戦後は無頼派の一人に数えられて<独自・孤高の作家>などという、たいそうな冠もありました。今は代表作とされる「風狂記」(わたしは未読)など、それでも数冊が文庫で読めるでしょうか。

 手にしたのは「石川淳選集第二巻」(岩波書店、昭和54年初版、絶版)で、ここには長編「白描」と、「かよひ小町」「處女懐胎」の2短編が収められています。どうせ読み始めるならまず代表作にすればいいのにーとも思うのですが、このあたりが自分の偏屈なところ。

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 「白描」は昭和14年に発表され、どちらかといえば<失敗作>の烙印を押されています。なんと。まあ....作家を知ろうとすれば、むしろ失敗作から見えてくるものが面白いから...というのは苦しい言い訳ですw。

 主人公のいない群像劇のような構成。アクの強い(個性的な)男たち、少年、少女、亡命ロシア人夫婦などが登場して交錯し、またばらばらに散っていく1カ月間を描いた作品です。

 東京を舞台にしていますが、当時の「現代」も、今読めばセピア調の光景。そして文章にもいい意味でも悪い意味でも時代を感じます。

 人物造形は極めて理知的、明晰。「理」が勝ち過ぎているため、むしろ人物に血が通わず、ドロドロした愛憎や感傷で読者を巻き込むようなところは皆無です。人物の情感のあれこれも、ことごとく分析され、作者は読者の目の前に広げ、披露します。

 石川作品はおしなべて、当時の言葉でいえば<高踏的観念小説>(←すごい言葉ww)。でもこうした明晰さを求める姿勢は、のちの三島由紀夫、現代なら平野啓一郎さんらにつながっていると思います。

 面白いのは文体が独特で、長いセンテンスを駆使して味のあるリズムを感じます。とても日本的な、例えば講談の口調で語られる西洋哲学小説みたいな感じというか。

 さて「石川淳選集」全17巻は小説と批評作品をほぼ網羅しています(しかし「風狂記」は収録されずw)。新書版なのに布クロスの装丁で、中のページは2段組みという、今はなかなか見られない造りの本。各巻に解説など一切なく、作品と、巻末に初出一覧があるのみという、不親切で何とも潔い編集方針です^^;。

 古本が全巻揃って3000円余りだったので、以前入手。2段組みの字の細かさは、老眼にはちときついのですが、まあ、まだ何とかなります。さて石川作品、次は何を読もうかな。