ことばを食する

私的な読書覚え書き。お薦めできると思った本を取り上げます

ぼくらは冷酷に生き抜く 〜「悪童日記」アゴタ・クリストフ

 読み始めるとまず、感情を排した簡潔な記述に引き込まれます。フランス語からの翻訳で読むわけですが、原文が持つ雰囲気と存在感が(おそらく)ストレートに伝わります。目の前の現実を映し出すことに徹し、感情の揺らぎによる曖昧さや、形容詞で飾ることを一切しない短文を多用するので、他国語に置き換えたときに生じる乖離が少ないのだろうと想像できます。

   

 「悪童日記」(アゴタ・クリストフ、堀茂樹訳、ハヤカワepi文庫)はタイトル通り、双子の子供である「ぼくら」が記した日記形式の作品。ぼくらは二人で一人、分かち難い存在としてあり、この日記を書くのも「ぼくら、という一つの主観」です。

 日記であっても記述に日付はなく、「ぼくら」の目の前で起きたこと、「ぼくら」がやったことを積み上げて、ストーリーが展開します。場所は第二次世界大戦中の国境に近い東欧の小さな町。ここは本のカバー、背表紙にある要約文を再録します。

 

 戦争が激しさを増し、双子の「ぼくら」は、小さな町に住むおばあちゃんのもとへ疎開した。その日から、ぼくらの過酷な日々が始まった。人間の醜さや哀しさ、世の不条理ーー日々出会う現実を、ぼくらは独自のルールに従って日記にしるす。

 

 日記を書く「ぼくら」の視線は、しばしば冷酷なほど。引用した「人間の醜さや哀しさ、世の不条理」は、文章を読んだわたしたちの心に生じる感情であって、外界の日常と対峙する「ぼくら」に、曖昧な心の揺らぎが入り込む余地はありません。その徹底ぶりが、作品を際立たせています。

 性愛、倒錯した性、暴力、ユダヤ人虐殺など、戦火に接した町の現実がさまざまに降りかかり、通り過ぎて行きます。読み進むほど、一つひとつのできごとが不気味な寓話のように心に刻まれ、読後には、重い塊になって昨品の存在感が残ります。

 ところが、心に残ったこの存在感をどう表現すれはいいのか、はたと困りました。「感動」には違いないけれど、心が満たされたような高揚感ではありません。安易な解説を試みても、すべて作品にはね返されてしまう。

 結局、混乱したわたしの心の状態そのものが、「悪童日記」への最高の賛辞なのだと思いました。傑作です。

 蛇足ながら「悪童日記」は日本語版のタイトル。原作は「Le Grand cahier」(大きなノート)で、読んでみればやはり、一見さり気ない原題の方が広がりがあるけれど、読者受けを狙うと「悪童日記」になってしまうのかなあ。

            

 →  「悪童日記」Amazon