ことばを食する

私的な読書覚え書き。お薦めできると思った本を取り上げます

庶民の悲哀を軽く見るなよ! 〜「五郎治殿御始末」浅田次郎など

 小学館の日本の歴史で、いま明治前期を描いた「文明国を目指して」(牧原憲夫)を読んでいます。ふと思い出したのが、浅田次郎さんの「遠い砲音(つつおと)」という短編でした。

 明治維新といえば、身分制度の撤廃、教育義務化、赤煉瓦の建築、ガス灯など前向きな文明開花を連想しますが、この時代は庶民にとって決して楽ではなかったことが日本の歴史に細かく記されています。

 近代国家建設のスローガンで、慣れ親しんだ生活習慣を捨てざるを得なかっただけでなく、厳しい税の取り立て、また曖昧な情より法を優先する政策が強行されました。明暗どちらもあったのに、少なからぬ庶民の実感である「マイナス」より、政府が目指した「プラス」イメージが、時代を彩っている気がします。

 この時代のマイナスの側面を、庶民に近い目線でいろいろ書いている作家は、浅田次郎さんですね。小説家らしく、批判を面白おかしく物語にして。「遠い砲音」は、短編集「五郎治殿御始末」(新潮文庫)に収録された1編です。

 テーマは西洋定時。要は1日24時間、1時間は60分。そして1分は60秒。日本人が初めて出会う時間測定で、これが十進法でないからややこしい。しかし、これを体得しなければ文明国として列強に太刀打ちできないと言われれば...。

 主人公は真面目で愛すべき元藩士の下級役人で、彼の役目は定時きっかりに大砲を打ち、音で庶民に時間を知らせること。念入りに時計の秒針を合わせ、高台の大砲まで出向いて鳴らします。しかし。

 数秒だったか数十秒だったか(忘れました^^;)、定時より遅いと、必ず上司に叱責されるのです。厳しく叱られつつ、首を傾げるしかない日々。なぜ遅れてしまうのか?

 いや、彼の上司はかなり離れた地点で聞いているので、遅れて音が聞こえるのです。音速という知識がないから、彼と上司の葛藤は終わりがありません。こうした物語の仕掛けに、人間の生真面目さの悲哀、合理的社会への一刺しを込めた佳品だった記憶があります。

 

 さてさて、令和に生きるわたしは、地球沸騰で家に籠る生活に耐えかね、金沢市にある国立工芸館まで車を飛ばしました。

 思いがけず、涼しげな女性に出会えました。

 

 「潮騒」 桐、木彫、木目込。芹川英子(1928-2021)

             

 → 「五郎治殿御始末」Amazonにリンク