ことばを食する

私的な読書覚え書き。お薦めできると思った本を取り上げます

雨の7月1日 

 1年の半分が終わり、折り返した7月最初の今日は朝から雨でした。気持ちよく晴れた日が好ましいのは当然だけれど、この時期の雨は緑を濃くしてくれる。庭の木々や芝が、夏に向けて勢いを増すのが目に見えます。

 雑草も一緒に元気になるのは困ったものですが、これは庭の事前管理を怠ったわたしの責任。植物の側に立てば、花木も雑草も同じです。なに、ある程度育った雑草をこれからこつこつ抜くのも、現役引退した身にとっては貴重な時間潰しになります。

 晴れた日、本を読んだりビールを飲んだりする、庭の一角のベンチも(夏は防虫スプレーが欠かせません^^;)、雨に濡れてこのところ出番なし。奥のクチナシは先週で白い花の時期が終わり、左手前でバラが2番花の蕾を膨らませています。そして、今夏は異常気象が進まないことを祈るばかり。

 

 小学館が出した日本の通史(「日本の歴史」16巻+別巻1)を読んでいると、面白いことにいろいろ出会えます。

 800年ほど前の寛喜2(西暦1230)年は、夏に霜が降りるなど異常気象が続き、翌年にかけて全国的な大飢饉になりました。京でも餓死者が続出。著名な貴族・藤原定家の日記「明月記」には<街路に捨てられた遺骸の死臭が家に中にまで漂ってくる>と記されています。

 そのころ国を治めていたのは鎌倉の幕府と、京都の朝廷。庶民にとっては二重支配の時代でした。この二つの支配者、飢饉にどんな対策を打ったか。

 鎌倉幕府は、窮民のために米を放出し、幕府内部で倹約を奨励しました。

 京の朝廷は、800人からなる一行を組織して伊勢神宮に参詣し、飢饉の解消を祈願しました。

 貴族が800人も、しかも選りすぐった偉い連中が伊勢神宮まで移動するので、莫大な費用がかかります。沿道の住民たちにも臨時の徴収や雑役が課されました。

 「あー、これだから貴族社会は滅んだんだよ。神頼みに費やす巨大予算があるなら...。かつ臨時の負担なんて飢えに苦しむ庶民を、さらに鞭打つようなものじゃないか!」。わたしはそう思いました。

 この話は第6巻、『京・鎌倉 ふたつの王権』(本郷恵子)に出てきます。

 でも、そう短絡的に貴族たちを切り捨てないで...と、この巻の著者・本郷さんは諭してくれました。飢饉から逃れたいという人びとの願い。願いを結集し、神仏への祈願という目にみえるかたちにして実行すること。公共の福祉を実現する仕組みが実装されていない社会においては、そこに現実的な需要と役割があったのだと述べます。

 祈願をありがたく思う多くの人がいた。一方で幕府の米放出の恩恵に預かったのはごく一部、伊豆と駿河の住民にすぎなかった。

 なるほど...。現代の合理的な思考に親しんだわたしたちには馬鹿げて見えても、当時の貴族の政治感覚には社会的な意味があったのです。飢饉に限らず、流行病、争いなど、神仏に頼ることはだれにとっても切実なリアルでした。限られた胃袋をケアした幕府、多くの心を慰撫した朝廷だったのです。うーむ。ん...?

 ふと、思いました。新型コロナ感染が爆発的に広がったころ、わたしたちは極度に感染を恐れました。死への恐怖があったわけですが、それがすべてではありません。初期には感染によって押される、社会的な<負=マイナス>の烙印を意識しなかったでしょうか。あるいは何もない暗闇に悪魔を見て恐れる部分がなかったか。こうした心の動きは、神仏への祈願と表裏一体だと思います。

 実際、パンデミック初期には感染者どころか、受け入れ医療機関の従業員にまで、合理的思考とは程遠い反応が地域社会で噴出しました。わたしの身近では、病院の事務職員の子供が、保育園の通園を断られることまで起きました。一部の看護師たちは家族に影響(ある種の風評被害)が広がることを恐れ、帰宅せずに病院駐車場の車中で寝泊まりして新型コロナに立ち向かいました。合理的な思考に立てば、常軌を逸した社会状況です。

 社会において理性が優勢か、心象が優勢かは時と場合によりますが、人間が片方だけで成り立っていないのは変わることなく同じです。いくら文化、文明が進んだとしても。その事実を思い定めると、鎌倉時代どころか、石器や土器を作って暮らしていた人たちの考え方まで、なんだか身近に思えてきます。

 わたしの歴史の長旅は、現在7巻目。鎌倉幕府が滅んで南北朝、室町のあたり。「えー、能の前身の田楽ってそんな芸能だったの!」と、今日も目から鱗がポロリしました。ここからさらに戦国の世にタイムスリップして、武将たちや庶民の暮らし、彼らの政策、心と日常を見学してきます。

  

 一方で、積読本がまた増えました。やれやれ。

 本日、雨の駅前でブックオフの格安本を物色し、「にぎやかな落日」(朝倉かすみ)、「大名倒産」上下(浅田次郎)、「小さき王たち」(堂場瞬一)の4冊を約800円で購入。ついこの前、とある必要から買った「グレート・ギャツビー」(フィツジェラルド、新潮文庫)も読まなければ。まあ、いつもの焼酎飲みながら、ゆっくり行きます。