朧げな記憶をたどれば、それは地元の神社の秋祭りの日。宴席でした。親戚一同が集まって酒を酌み交わしている。父も母も、伯父や叔母たちも若くて働き盛りでした。昭和30年代が終わろうとするころ、高度経済成長期にある日本の片田舎のとある家、座敷に華やいだ声が飛び交うセピア色の点景です。
父は職人、伯父は農家、一番若い叔父はハイカラなレントゲン技師。懸命に働けば必ず、今日より明日は良くなるという<神話>が、生きていた時代でした。祭りの日は、ふだん汗水垂らす大人たちに許された、浮かれてもいい数少ない日だったのです。
小学校に入ったばかりで、隅で皿をつついていたわたしに、酒を充した盃が回ってきたのは余興のようなものでした。「長男だから、大人の味を齧らせてやろう」というノリだったと想像します。
おいしかったか、まずかったか。
まったく記憶がありません。少なくとも、また飲みたいと思う味でなかったことは確かです。
大学のころ酒(アルコール)は、毎夜のように仲間が集まって果てしなく議論し、闘う起爆剤になりました。「闘う」は、大袈裟ではありません。作家や評論家を目指す男女の集まりは、酒が入ることで、いとも簡単に大人びた遠慮を脱ぎ捨て、真剣を抜いて斬り合うことになったのです。
過大な自信と、過大な不安を抱えた学生たちの夜でした。山手線高田馬場の行きつけの飲み屋数軒。ときにはそこから始まって、同棲にもつれこむ男女がありました。
新聞記者として働き始めてからも、酒は1日も欠かすことができませんでした。本当に、呆れるくらい。
ただし、わたしは酒豪ではありません。わりと簡単に酔います。アルコールに強くて、いくら飲んでも酔わない人は、むしろかわいそうに思えます。だって酒は、酔うために飲むのだから。
会社を離れて、プー太郎(風来坊、定職を持たずふらふらしている人)になり、フリーランスのライターを自称し始める前後から、わたしは夕方から独り酒に浸るようになりました。
いまもそうで、ブログの大半は飲みながら書きます。仕事の原稿もちびちびやりながら書くことが多く、さすがに仕事の原稿は翌日、素面の頭で必ず読み返しますが。
月下独酌 李白
花間一壼酒 (花咲くころ、今日も酒瓶を1本持ち出したよ)
獨酌無相親 (相手してくれる人はいない、独り酒)
舉杯邀明月 (そこで、杯を挙げて月を招待した)
對影成三人 (月と、私の月影も見えるから、これで三人酒だ)
唐の詩人にして酒仙、李白の詩の一節。現代日本語訳はわたしのアレンジなので、あまり信用しないでください。責任は負いかねますw。杜甫曰く、「李白先輩って、飲めば飲むほど詩が溢れてくるんだよなあ」。その境地に憧れる〜。
李白が生きた時代は、日本の奈良時代。朝廷から派遣された遣唐使、阿倍仲麻呂とも交友がありました(←最近の歴史のお勉強の成果^^;)。
もし酒というものがなかったら、わたしの人生はどんなに味気なかったか。おかげで思い出したくもない失敗はたくさんあったけれど、今夜も飲んで、苦い過去は思い出さなければいいだけです。
祭りの日に酒を飲まされた子どもは、老いて独り酒を愛するようになりました。紙パックの焼酎は「下町のナポレオン」だとか。残念なことに、李白のような酔って高雅、風流とはかけ離れた景色です。うーむ...