2021年6月、現代を代表するジャーナリスト、立花隆さんの訃報が伝えられました。1974年の「文藝春秋」に掲載された2本の記事、立花さんの「田中角栄研究ーその金脈と人脈」と、児玉隆也さんの「淋しき越山会の女王」が、金権政治で権力をふるう内閣総理大臣・田中角栄を追い詰めて退陣に至る起爆剤になったことは、ジャーナリズムに関わった人間なら必ず知っている<伝説>です。
わたしは当時、高校生だったので、リアルタイムで掲載記事は読んでいません。そもそもそのころ政治になんて、興味なかった。
後年社会に出てから、この2本の原稿をそれぞれの著者の文庫本で読みました。児玉さんはすでにがんで早世していましたが、立花さんは意欲的な原稿を旺盛に発表していました。
「知の巨人」。まさに呼び名にふさわしい存在でした。
「知の旅は終わらない」(立花隆、文春新書)は2020年に刊行された自伝です。この本からは、なぜ立花隆という人間が際立っていたのか、その理由が明確に伝わってきます。
あらためて振り返ってみると、僕がやってきた仕事はみんな、人間はどこからきてどこへ行こうとしているのか、というテーマが 底に流れているようなところがあったから...
と、立花さんは書いています。
人間はどこからきてどこへ行こうとしているのか。人間とは何なのか。なぜ<私>はここにいるのか。青臭い疑問だと思う人もいるでしょう。しかし
本書の中にも出てくる例えを参考に述べてみます。
カメラで一人の人間のポートレートを写す。少し引いて、周囲の光景に中に人を置く。さらに広い視点で見れば、地球という星になる。もっと広角的にとらえると、宇宙という広大な空間が目の前に広がります。
さらに、ここに時間軸が加わります。今のわたし。そして自分が生まれてからこれまでの、様々な経験の集積の結果としてある「今」。わたしが今あるために、積み重なってきた人類の歴史、宇宙の歴史。
壮大な全体への概念を見えない背景として持ちながら、生々しい政治の現在や、科学の最先端を俎上に載せ、腑分けしていくのです。根元にある、人とは何なのかという疑問に迫るために。
立花さんの仕事は、政治、宇宙技術と人、脳死、サル学、がんなど多岐にわたります。詳細な調査と取材、明確な論理を決して外さない驚くべき精緻な分析に驚嘆します。
今、その仕事を見渡せば、一貫性がないようにも見えるテーマ群は、実は大きな視点の中に位置付けられていて、常に<人とは何か>を知ろうと、問いかけ続けたジャーナリストだったことがわかります。
膨大な知識をいくら学び積み重ねても、それを<知>とは言いません。<本物の知>を求めた遍歴が、立花さんの生涯と仕事だったのだと思わせてくれる1冊でした。
合掌。