ことばを食する

私的な読書覚え書き。お薦めできると思った本を取り上げます

クリスマスイブの夜

 今年のクリスマスイブはわたしにとって、単に残り1週間になった2021年のカウントダウンが始まる日です。数日前、ある手書きの自伝原稿前半がどっさり届きました。今日も半日、その原稿を読み込んでいました。

 来年1月半ばまでに、必要なところに手を入れて整えなければなりません。その後に後半部分が届く予定。スケジュールでは2月15日に全編のリライト終了・入稿、校正を経て3月11日に印刷開始。年度内に納本。これ、かなりきつい予定表です。

 自伝のお手伝いは2回目です。前回は105歳の女性、今回は85歳の某企業の会長さん。普通はこうした仕事、引き受けないのですが、昔お世話になった人や知人だと、なかなか断れません。そしていざ取り掛かると、苦労の大きさに見合う新鮮な驚きがあるのです。

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 新聞社の編集局に在籍していても、定年まで記事が書けるわけではありません。ある時点で「デスク」と呼ばれる中間管理職になり、日々部員たちの原稿を手直しし、時に補足取材を命じる前線の司令塔になります。

 当然ながら、記者によって原稿や取材の上手い下手があります。だからデスクは苦労するのですが、記者たちは全員、書き方の基本だけは叩き込まれています。あるいはデスクが怒鳴って、繰り返し叩き込みます。わたしも長い間、そうした原稿とどれだけ格闘してきたことか。

 一方で、文章を書くことに縁のなかった人が、人生を振り返って綴った長大な自伝原稿。今は最初の読者として、わたしが接します。前後の事実関係が曖昧だったり、矛盾しているのはよくあることで、意味そのものが分からない文章も珍しくありません。ところが....、なのです。

 読み込めば、明晰に書かれた文章に劣らず、いや、しばしばそれ以上に、素朴な文章ほど筆者の強い思いが伝わってくるのです。まだ磨かれていないけれど、奥にひそむ<光>。えてしてプロの文章に欠けている不思議な力です。

 自伝という極めて個人的な記憶の断片たちは、今になってみれば明治、大正、昭和という時代の一断面として、歴史書やテレビドキュメンタリーが伝えてくれない息遣いに満ちています。うーん。

 この文章が奥底に持つ<光>は、どうすればより多くの人に届くのか。筆者の文章の味(個性)をできるだけ壊すことなく。これから当分、わたしのお手伝いの目標はその1点に尽きます。

 市井の一個人が自費出版する自伝は珍しくなく、めったに書店に並ぶこともありません。でも、限られた範囲にだけ存在する言葉のジャンルが多種多様であるあることは、文化の土台として大切だと思います。ベストセラーだけが本ではないと、時には思ってみるのも悪くありません。

 

 そうそう、お礼を兼ねたご報告を一つ。このブログで書いたことのある詩人、吉原幸子さん(故人)の息子さんが、母名義のfacebookを運営されています。現代詩文庫(思潮社)の「吉原幸子詩集」「続吉原幸子詩集」が重版された記念に、本のプレゼントが告知されていました。

 応募したら見事当選。先日、真新しい2冊が届きました。ありがとうございました。改めて読み返したいと思います。

 あ、これ、少々早めのクリスマスプレゼントだったのかな。

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