ことばを食する

私的な読書覚え書き。お薦めできると思った本を取り上げます

もがいたって、出口はない 〜「椅子」ウジェーヌ・イヨネスコ

 わたしは本を処分するのが極めて苦手です。何年かに一度、意を決して2、300冊程度は廃品回収に出すのですが、生まれる空き空間は微々たるもので、たちまち新たな本で溢れてしまいます。

 狭い部屋でまともな身動きもままならず、気を許せば積み上げた本がいつ崩れてくるか分からない。何とかしたいと、本人は何十年も呻吟し続けているのに、解決策はどこにもない。お金があれば増築するのですが、お金はないからやはり解決策はありません。でもでも、やはり、何とかしたいともがく。

 まるで、出口のない<不条理劇>です。悲劇ではなく、喜劇の方の。

 電子書籍の流通当初、画期的なことに思えてiPadを読書ツールにした時期がありました。わたしの居場所を占拠する本全てが、データ量に換算すれば小さなタブレットに楽に収納されてしまうという事実は、神が降臨したような衝撃でした。

 しかし、iPadで本を読んだのは半年ほど。電子書籍は、つまらない。本がつまらないのではなく、その読書体験がつまらない。なぜなのか理由を考えても、つまらないものはつまらないのだから時間の無駄です。降臨した神は急速に色褪せました。

 わたしたちは本を楽しむだけでなく、<読書体験>も楽しんでいる。それが分かったことは収穫でした。

 昨日、書架の一角から40数年前に買った本を取り出しました。「イヨネスコ戯曲全集」(全4巻、白水社)の第1巻。そこに彼の代表作の一つ「椅子」(安堂信也訳)が収録されているからです。

 この劇、まともなストーリーはありません。

 主役は老夫婦、舞台は自宅の広い客間らしき空間。二人のとりとめもない会話や意味不明な行動は、最初から閉塞感にみちた雰囲気を作り出しています。つらい今の状況を変えたいという思いが伝わる一方で、出口を求める彼らの言動はあまりにも支離滅裂。

 その客間へ、次々と招待客がやってきます。美しい貴婦人、偉い大佐、写真製版技師、新聞記者...。ついには皇帝まで。来客があるたびに老夫婦は椅子を運び入れて部屋に並べ、愛想よく来客たちをもてなします。

 さまざまな来客で部屋はあふれ、老夫婦はてんてこ舞い。椅子がぎっしり並びます。しかし、見えるのは来客たちと話し続ける老夫婦のみ。客席から見た舞台には、座る人のない、たくさんの椅子だけがあるのです。...

 

 ウジェーヌ・イヨネスコ(1909ー1994)はルーマニアに生まれ、フランスで活躍しました。サミュエル・ベケットとともに、1950年代を中心にした<不条理劇>を代表する作家です。

 <不条理劇>とは何か、wikiの記述から抜粋すると「ストーリーはドラマを伴わずに進行し、非論理的な展開を見せる。そして世界に変化を起こそうとする試みは徒労に終わり、状況の閉塞感はより色濃くなっていく」「言語によるコミュニケーションそのものの不毛性」...など。簡単に言えば、徹底的に救いのない世界を描いた喜劇(同時に悲劇)です。

 わたしは学生時代、S・ベケットの小説と戯曲に深刻に惚れ込みました。その流れの中で、イヨネスコの作品にも手を出したのでした。ベケットの「ゴドーを待ちながら」については以前、このブログにさらりと書いています。

 

 さてわたしの自宅。部屋の椅子は座面が破れてスポンジが顔をのぞかせ、長くシートを被せて使ってきました。それもついに限界にきて、昨日買い替えました。

 新しい椅子は快適で、ふと、イヨネスコの「椅子」を思い出したのです。最近は歴史本に浸りきっているので、気分転換の再読もいいかと手に取ったのでした。やはり本は簡単に処分しない方がいい。わたしの場合、ですが。