ことばを食する

私的な読書覚え書き。お薦めできると思った本を取り上げます

ドストエフスキー 〜作家つれづれ・その1

 異常気象で雪が積もらなかった昨年と打って変わり、いつもの冬がやってきました。朝、目が覚めて見れば一面の銀世界。まるで世界をリセットしたよう。庭のサクラも雪をまとって、枝垂れ桜みたいな風情になっていました。

f:id:ap14jt56:20201217205904j:plain (今朝の庭)

 わたしの住む地では、基本的に雪をいい言葉で語りません。冬の生活が苦しいことの象徴でもあるからです。しかしわたしは子供の頃から変わらず、雪と冬が好きです。高校時代まで、あれほどロシア文学に惹かれたのは、そんなベースがあったからだと思います。

 講談社から出た新訳のドストエフスキー「罪と罰」(北垣信行訳、2冊本)を買ったのは坊主頭の中学2年の時でした。当時、作家や作品に事前知識があったとは思えず、表紙カバーに使われていた美しいロシア人少女の写真(映画のソーニャ役)のせいだったのでしょう。

 わたしが読む本を、見咎めた父が言いました。

 「お前にその小説が分かるのか?」

 生意気な中学生は即座に、言い返しました。

 「日本語に翻訳してあるから普通に読める。日本語が分かればあとは、どう感じるかだけだろう」

 父がどんな反応をしたか、覚えていません。いま、自分が父の立場だったらと想像すると、ただただ、苦笑するでしょう。

 こうしてドストエフスキーに入り、高校を卒業するころには米川正夫訳の全集のほか、めぼしい研究書も探して読んでいました。当時はネットなどなく、田舎の本屋をどれだけ巡っても、ほしい本が見当たらないことに焦燥感を募らせたものです。

 高校時代のわたしにとって、文学のメーンストリームはロシア文学でした。プーシキン、ツルゲーネフ、ゴンチャロフ、ショーロホフの大作「静かなドン」に呆然とし、ソルジェニツインを読んで現代(当時の)ソ連に暗たんとし。一方でレフ・トルストイにはなぜか熱意が向きませんでした。「アンナカレーニナ」は面白かったけれど、代表作「戦争と平和」は未読です。

 ドストエフスキーの諸作を再読すれば、新しい発見がたくさんあると思いますが、もう死ぬまでページを開くことはない気がします。作品や作家との出会いは、リアルにおける人との出会いと同じで一期一会。もしこの年齢で出会っていればーと仮定しても、やはりつまらないですね。

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 「罪と罰」を要約すれば、貧しい大学生のラスコーリニコフが、自ら構築した<社会正義>に従い、<社会悪>である高利貸しの老婆を殺害します。ところが正義を実現した殺害の瞬間から、彼の苦しみが始まり、最後は刑に服してシベリアに送られる物語です。彼の魂の救いとなるのが社会の最下層にいる娼婦のソーニャ。ベースにキリスト教(ロシア正教)があります。

 「貧しき人々」で始まったドストエフスキーの作家としての歩みは、「罪と罰」で基本的な土壌の広がりを獲得したのだと思います。この後「カラマーゾフの兄弟」にいたるまで、全てこの土壌の上に咲いた色彩の違う大作群です。

 さて、ドストエフスキーと三島由紀夫はほぼ結びつかない二人ですが、驚くような視点でわたしの前に二人を示してくれたのは小林秀雄でした。小林のドストエフスキイ論ではなく、「金閣寺」の書評だったかと思うのですが、どうにも記憶曖昧です。

 「金閣寺」の主人公である青年僧は、美の理想としての金閣を心の中で構築してゆき、最後はついに現実世界における金閣に火を放つところで作品が終わります。「罪と罰」のラスコーリニコフは赤貧の中で社会正義のあり方を構築し、ついに高利貸しの老婆を惨殺します。「金閣寺」はその頂点で終わるけれど、「罪と罰」の主題は<その後>をどう生きるかなのだ、と。

 小林のこの指摘には、思わず唸りました。

 金閣寺を焼いた僧の<その後>を、三島は書かなかった。書けないから、あの終わりかたしかなかった。ただし、「金閣寺」以降のいくつかの作品で、また自らの生き様と死に様で、三島は<その後>を体現したのだと私的に思っていますが。

 今日、雪に覆われた家の部屋の中で、思い出したドストエフスキーでした。キリスト教的な精神性が色濃い後期の大作より、「死の家の記録」「地下生活者の手記」など命や精神の限界にストレートに向き合った作品群が、今は先に思い浮かびます。おそらく高校生当時のわたしは後期の大作群を、背伸びしても消化しきれなかったからでしょう。

 この稿、記憶だけを頼りに確認や再読作業を一切していないので、各作品細部の正確性について保証の限りではありません。でも、気ままに書くのも結構楽しい。

 次は三島とか小林とかベケットとか、またいつか書いてみようかなあ。