ことばを食する

くーの、極めて私的な読書覚え書き。誰かにお薦めできると思った本を取り上げます

 幸せってなんだっけ? 〜「ゴドーを待ちながら」S・ベケット

 谷川俊太郎さんの詩句に、こんなのがあります。

 どんなに好きなものも

 手に入ると

 手に入ったというそのことで

 ほんの少しうんざりするな

 これ、分かる気がしませんか。それどころか時には、手にも入っていないのに、自分のものになると分かった瞬間から、求めていたものが早くも色あせ始めたり。求めているものが何かは、人それぞれだと思いますが。

 「何をアホなこと言ってるんだ! 俺はいまサイコーのカノジョとつきあっていてチョー幸せだ!!」....という幸運な方も、たくさんいらっしゃるのは分かります。「宝くじで1等当てて、預金通帳見ながら毎夜幸せを嚙みしめているぞ」という方も、ごくごく稀ですがいらっしゃるでしょう。

 しかし、カノジョとつきあい始めた幸せが一生続くなら、なぜ「妻のトリセツ」などという本がベストセラーになるのでしょう。お金の心配なく何でも買えるとしたら、何かを手に入れる幸せは、ずいぶん色あせていないでしょうか。

 もしかしたら、死ぬほど欲しいのに手に入らない、身を切る不幸の中にしか、幸せ(という幻想)はないのかもしれません。運よく手にすることがあれば、そのときにはもう幸せの風化が始まっています。一方、幸せを手にできなければ、身を切る不幸が続くだけです。

 何というか、とっても不条理というか、悲しいというか。それでも終わることなく求め続けることが、人の一生なのかもしれません。神様から見たら、そんな人間の姿はどんなふうに見えているのでしょうか。

 さて、そもそも人がいちばん切実に求めるものとは、何でしょう。理想の異性、尽きないお金?。もっと抽象的には、幸福とか、神とか、救いとか。死後の天国あるいは極楽、という人もいるでしょう。

 これらすべてを、便宜的に一つの呼び名で表すことにします。「ゴドー(godot)」。

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 舞台は夕暮れの田舎道。1本の木の前で、疲れ果てた2人の男がとんちんかんな会話を繰り返しながら、ただただ、「ゴドー」さんを待ちます。しかし、やってきたのは2人に輪をかけて支離滅裂な人物だけです。ついに「ゴドー」さんは来ません。

 次の日、また同じ事が、しかし奇妙に違うことが、繰り返されます。やはり「ゴドー」さんは来ません。そして幕が閉じます。

 おわり。

 こんな単純な2幕の劇が「ゴドーを待ちながら」(ベケット戯曲全集1、白水社)です。「ゴドー」とは何なのか。よくあるのが、godotの語の類推からGod・神だとする解釈。けれどそれは安易で、私は戯曲を読む人、劇を見た人が考えればよくて、一つの正解はないと思います。

 もし、この劇に3幕目があって「ゴドー」さんがやってきたとしたら、2人は狂喜したでしょう。でも必ず4幕目もあって、相変わらず疲れ果てた風情の2人は言うはずです。

 「昨日のゴドーは偽物だった!。でも、たぶん、いや絶対に、おそらく、願わくば...今夜こそゴドーがくる!!。絶対に」

 大切なのは、ベケットの認識を、人という存在に対する最後の結論にしてはいけないということ、だと思います。逆に「出発点」の認識として、大人の人生を積み上げなければいけません。私はそのことに気づくまで、ずいぶん時間がかかってしまいました。アホでしたねえ....。