ことばを食する

私的な読書覚え書き。お薦めできると思った本を取り上げます

画鬼の子に生まれて 〜「星落ちて、なお」澤田瞳子

 明治22年に没した絵師・河鍋暁斎(かわなべ・きょうさい)。<画鬼>と称され、今その作品群を見れば、時代を超越した鬼才であることに驚きます。

 「星落ちて、なお」(澤田瞳子=さわだ・とうこ、文藝春秋)は、暁斎の娘・とよ=後の絵師・暁翠=の生涯を描いた作品です。第165回直木賞を受賞したばかり。だからといってすぐに読むことは滅多にないのですが、たまたま河鍋暁斎という絵師が以前から気にかかっていたことから手にしました。

 もちろん、暁斎を知らなくても、この小説を楽しむことになんの支障もありません。絵という魔物に魅せられた父。<画鬼>の子として生まれた娘と兄の苦悩。アートに多少なりとも興味のある人なら、こうした物語の設定はしっくり馴染めると思います。

 意地悪に言えば、驚くような新鮮さはないのだけれど。しかし、清潔でしっかりした文章の積み上げが、とてもいい味を出しています。

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 暁斎の葬儀の直後から、小説の幕が開きます。生真面目に対応に走り回る、とよ。喪主でありながら途中で姿を消してしまった兄の周三郎。二人はともに、絵師として父に仕込まれてきました。

 血ではなく墨、あるいは絵の具の顔料が血管を流れる親子、妹と兄の愛憎の変遷が綴られます。人ではない<画鬼>の家族。彼らを翻弄する時代の流れ。

 明治維新以降、西洋の油絵が主流になり、日本画も時代の流れに迎合した作風が幅をきかせます。暁斎は死後に、急速に世間から忘れられていくのです。

 しかし、絵師として、とよ(暁翠)と周三郎は反目しながらも、父が拠り所とした狩野派の技法を守り、父の作品に迫ろうとし続けます。どちらも、決して父を超えられないと自覚しながら。

 時流に流されることのない、とよと周三郎が、芸術の本質をとらえる不動の視点として機能しているところも魅力の一つです。うん、なかなかよかった。

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 参考までに、絵師・河鍋暁斎の作品を紹介しておきます。写真は「美術の窓」(生活の友社、2008年4月号)から。

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 「極楽行き列車」1872(明治5)年。

 当時の最先端であった陸蒸気(蒸気機関車)に牛頭馬頭が引く人力車、これを極楽の天女たちはお迎えか?。なんと斬新で大胆な構成。わたしが咄嗟に連想したのは、横尾忠則さんのような現代のアートワークでした。

 

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 女人群像 墨

 作品を支えていたのは鍛えあげたデッサンの力、下絵。線1本1本の勁さと構成力に圧倒されます。すごいなあ...。

  とよ(暁翠)の作品も、ネットで検索すればヒットします。