ことばを食する

私的な読書覚え書き。お薦めできると思った本を取り上げます

我、語りを極めんとす 〜「仏果を得ず」三浦しをん

 「仏果を得ず」(三浦しをん、双葉社)は日本の伝統芸能・文楽の世界で、芸に命をかける青年の物語です。といっても、カタイ話ばかりではありません。なにしろこの青年、知人が経営するラブホテルの一室を格安で借り切って、アパート代わりにしているくらいだから。

 えっ、ぶんらく・文楽?。歌舞伎なら、なんとなくイメージあるけど...。

 ところが読み始めると面白く、つい本を置いて文楽についてネットで調べ上げ、再び本を手にして読み終えたころには、表も裏も知り尽くして<通>になった気がします。気だけですが。

 三浦さん、あまり知られていない世界を取り上げて、魅力的な作品に仕立てるのがうまい。「舟を編む」は国語辞典の編集者たちでしたが、こちらは伝統芸能を担う個性豊かな人たち。両作に共通しているのは<言葉>や<読み>へのこだわりです。 

 

 文楽とは、江戸時代前半に大阪で始まった人形浄瑠璃。なるほど...と、一瞬分かった気になりますが、人形浄瑠璃ってなんだ?。人形は分かるとして、浄瑠璃とはなんぞや?。

 簡潔に記せば、浄瑠璃とは、語りと三味線による舞台だそうです。もっと昔は、琵琶法師が、琵琶を奏でながら平家の栄華と滅亡を物語って全国を歩いたのですが、語りと伴奏が、それぞれ専門芸として独立したわけです。語る人を大夫(たゆう)と呼び、伴奏は琵琶から三味線に変わりました。

 文楽は、脇の大夫と三味線に合わせて、メーンの舞台は人形が物語を演じます。この「三者が一体となった総合芸術」(文楽協会ホームページより)。そう言われると、なんだかカッコいいなあ。

 文楽の人気が爆発したのは、大阪に近松門左衛門という天才劇作家が現れたからでした。「女殺油地獄」「曽根先心中」「心中天網島」などなど。タイトルから分かる通り、人間のドロドロした情念と激しい恋心、清と濁を凝縮したような物語ばかりです。

 

 さて、小説に戻れば、主人公の青年・健(たける)は、語りのプロである大夫として芸を極めたいと精進しています。登場人物の人間像を理解し、なりきらなければ真に迫る語りができません。

 そうは言っても、人を殺したり、敵討のために手段を選ばなかったり、恋しい男を追って大蛇になってしまう女たちと自己を同化するのは簡単ではありません。擦り切れるまで近松の台本を読み込み、必然的に人間の本性を見極めようと日々苦しむことになります。

 大夫としての試行錯誤と、リアルの恋愛がしばしばリンク。健は、バツイチで子連れの女性に一目惚れしていて、現実の喜怒哀楽が芸人としての成長につながっていきます。健が惚れたシングルマザーと女の子を始め、語りの師匠、相方の三味線、その他出てくる脇役たちが個性豊かで飽きません。

 そして。劇空間とは面白い。文楽に限らず、舞台は架空の世界です。ところが全てが一体になったとき、文楽なら語り、三味線、人形が一体になったとき。そこに観衆の心も巻き込まれて、時空を超えた人間の真実が舞台上に現れます。

 

 小説を読んで、近松門左衛門を読みたくなり、新潮日本古典集成の1冊を書架から引っ張り出してきたのですが、数ページでギブアップ。たしか三浦さん、エッセイで「名作『罪と罰』を読んだことがありません!」と宣言していたけれど、近松は読み倒したんだろうか。すごい...。フィクションの面白さと力を、再認識した1冊でした。

                           

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