ことばを食する

私的な読書覚え書き。お薦めできると思った本を取り上げます

酷暑の夏

 酷暑、です。今年はひときわ。ふう。

 わたしが暮らす地でも、7月下旬から連日35度超え。基本的に、気温は照り返しのない草地の高さ1・5メートルの日陰で観測しますから、太陽に晒された場所は軽く40度を超えているはずです。どうなるんだろうか、この地球は。

 夏休み。麦わら帽子にランニングシャツで、セミを探し続けた昭和のころを思い出します。そんな無謀なこと、いまの子どもたちには勧められません。

 氷河期という言葉をだれもが知っているように、気象は地球規模で寒暖を繰り返してきました。日本列島であれば、石器時代は寒冷期でした。縄文時代になると温暖期に入り、人口が増加しました。

 縄文時代、人が延々と貝を食べて貝殻を棄て続けた遺跡・貝塚は、海辺ではなくしばしば内陸部で発掘されます。当時は平均気温が高かったので海水面が上がり、海岸線は現代より内陸にあったのです。これを「縄文海進」と言います。その後寒冷期に入り、海岸線が後退しました。

 ただし縄文以降も、規模の小さい温暖期と寒冷期は、数十から数百年サイクルで繰り返しているそうです。

 なんでそんなこと、分かるの?

 ...かと言えば、古い地層から検出される花粉分析で植物分布を特定し、当時の気象を知ることができる。さらに縄文杉のような巨木の年輪からも、寒暖が浮かび上がります。あたたかい時期は年輪の幅が広く、逆に寒冷期は狭い輪が並びます。

 なるほど!。以上は、小学館の「日本の歴史」で学びました。少し賢くなったわたしw。

 この寒冷期と温暖期のサイクル、あまり知られていませんが、歴史にとって重要なファクターだったのです。弥生、古墳時代以降も人々の生活の質を左右し、政治に影響を与え、密かに歴史を動かしてきました。

 天下泰平が続いた江戸時代は、気象も穏やかだったのかと思えば、意外なことに寒冷期でした。主に東北は冷害、九州や中国地方では異常気象の渇水、また病害虫による凶作がしばしば起きます。飢餓で亡くなった人の数がどれほど膨大だったか。

 徳川幕府や諸藩の財政を圧迫した要因の一つが(あくまで一つですが)、異常気象による凶作や天災への財政出動。江戸時代はこうして、真綿で首を絞められるように幕府や諸藩が疲弊していきました。

 さて、江戸時代の寒冷期は明治まで尾を引き、その後世界の気象は温暖化に転じたと考えられています。加えて、放出を続けてきた温暖化ガスの影響がリンクし、その結果が現代の異常気象だと推測されます。

 

 降る雪や明治は遠くなりにけり 中村草田男

 

 このよく知られた句。明治を昭和に置き換えると、なんともしっくりくる年代のわたしですが、もう少しアレンジしてみたくなります。

 

 酷暑嗚呼昭和は遠くなりにけり くー

 

 どうなろうと、今回ばかりは人類の自業自得だとしても、わたしの不安が高齢者の杞憂に終わりますように。

 

わが家から歩いて1時間で海岸線に出ます。100年後、ここは海底になっているかも