ことばを食する

私的な読書覚え書き。お薦めできると思った本を取り上げます

新年度、また牛歩の歩みで

 私の住む地でも、ようやく桜の開花宣言が出ました。と言っても、うちの庭のソメイヨシノが咲き始めるのはこれからで、赤みを帯びて膨らんだ蕾は、まだ一輪も開いていません。去年より1週間遅い。今日から、新しい年度、令和4年度が始まりました。

 現役を退いているので、新しいメンバーとの仕事が始まったり、入社式に出てフレッシュな顔を見ることもないのですが、未だ心改まる感覚が残っています。

 日本人のこの感覚は、明治以降のものだと知りました。4月から翌年3月までの「年度」というサイクルは明治政府が決めたのですね。年度とは、元々は国の会計年度のこと。なぜ4月スタートなのかは諸説あるようです。

 米を収穫してお金に替えた税金が入り、それを元に予算編成するとなると「4月からgo!が最適だった」..という意見に、個人的には説得力を感じます。まあ、そんな、ネットで拾ってきた蘊蓄は抜きにしてー

 江戸時代以前の日本人はいざ知らず、戦後の昭和に生まれたわたしにとって、保育園に通うことになった幼児の頃から4月は、新しい始まりの月。お年玉を抱いて炬燵に潜り込んでいればいい正月とはちょっと違う、責任感が伴う区切りです。

 4月の思い出は人それぞれ、限りなくあると思います。

 わたしが今、たまたま思い浮かべたのは田舎から東京の大学に入って最初に見上げた桜。入学式を前に、式に出る真面目さを持ち合わせず、一人で早稲田の穴八幡神社にいました。咲いた木のそばのブランコに揺られながら、桜の下で未来を見ていた。

 思い描く未来への道程はぼんやりとしていたけれど、熱い塊だけが胸にあった。そうあるべき未来を、実現しなければならないという不安と、痛いような自分への責任感でした。

 

 4年後に敗残兵の気持ちで古里に帰ってから、40数年が過ぎました。人が1日にできることは本当にわずかだと、今のわたしは思います。

 今朝の起床は午前7時半。朝刊に目を通してから、ダラダラ過ごす合い間に新刊の「チンギス紀」13(北方謙三、集英社)を読み進め、素人絵を少し描き、オンラインゲームを覗き、夕方にかけて10キロ、ウオーキングしました。次のコラムのテーマが決まらず、微熱のようなイライラも感じつつ。

 そうそう、昼は300数十円の冷凍ラーメンで済ませ、器と箸を洗った。フルに働いていた現役時代とは違う今の収入を考えれば、かつての感覚ではいられません。そして

 そんなわたしにはお構いなく、明日になれば桜の蕾はまたひと回り膨らんでいるのだろうな。

 

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 それにしてもこのモズの巣、いつ仕上がるのか想像がつかない。今日描いたのは、ごく細く短い枝を2本ばかり...