ことばを食する

私的な読書覚え書き。お薦めできると思った本を取り上げます

芥川君、君、先生の『こころ』を読みましたか? 〜「ミチクサ先生」伊集院静

 夏目漱石の生涯を読み進むにつれ、いつの間にか自分も、同じ空気を吸い、同じ時間を生きているように思われてきます。「ミチクサ先生」(伊集院静、講談社)は、漱石を軸にしながら、正岡子規ら日本の近代文化を切り拓いた若者たちにスポットを当てた群像劇です。

 そして、この小説の真の主人公は登場する人間たちではなく、幕府の終焉から明治天皇の崩御に至る、明治という<時代>なのです。

  f:id:ap14jt56:20211219140301j:plain

 てっぺんに登る道は一つではない。ミチクサ(道草)はおおいにすべしーと、学生たちに教える漱石自身、幼少期からあちこちにミチクサしながら作家への道を歩き続けます。

 「文学」「小説」などの近代的な概念が、まだあやふやな時代です。前に道はなく、漱石や子規が進んだ後ろに初めて道ができ、そこから枝分かれして次の時代を築く多くの才能が生まれました。

 漱石に対して、たいしたミチクサをする間もなく、脊椎カリエスで逝ってしまったのが子規でした。江戸っ子の漱石と、四国松山から出てきた子規は大学予備門で出会い、生涯の友になります。

 大食漢で屈託のない青年として描き出された子規は、病を得ると一直線にてっぺんを目指し、激痛に襲われながら筆を走らせ続けます。短歌や俳句の革新を目指した彼の死は、なんとも哀切です。

 読み進むうちに浮かんできたのは、司馬遼太郎さんの大作「坂の上の雲」でした。「坂の上の雲」はバルチック艦隊を打ち破った海軍参謀、秋山真之らの群像劇を通して、国家の近代化を成し遂げた<時代>を描きました。

 「ミチクサ先生」は、その文学バージョンのような味わいです。作中には寺田寅彦、高浜虚子、森鴎外、芥川龍之介なども登場します。味気ない国語や歴史の教科書に出てくる彼らと違って、小説では一人ひとりが声を発し、生きているから楽しい。

 特に漱石の教え子である秀才・寺田寅彦は、重要な脇役として活躍します。彼は後に物理学者になり、数多くの名随筆を残しますが、あの「天災は忘れた頃にやって来る」という一文が生まれたエピソードもさらりと書いてあります。

 わたしは漱石も子規も、腰を据えて読んだことがありません。主要作品のタイトルや有名なフレーズを知っている程度なので、巻末に付された漱石の年譜に驚きました。

 デビュー作「吾輩は猫である」の発表は明治38年。連載中の死で未完の絶筆となった「明暗」は大正5年。49歳。小説家としての活動は、正味11年しかないのです。子規に至っては34歳で没しています。

 あの時代の人びとは、わたしたちよりよほど濃い時間を生きていたのかもしれません。

                   

→  「ミチクサ先生」上、講談社文庫 Amazon