ことばを食する

私的な読書覚え書き。お薦めできると思った本を取り上げます

臥す枯野なほかけ廻る夢心 〜「永訣かくのごとくに候」大岡信

 <死>とは何か、人は決して知ることはできません。死んでから甦って語ることがない以上、つねに<死>は生きている人の中にある、さまざまなイメージです。

 <死>について語るとは、<死>を前にした<生>の在り方をつづることになります。辞世の句、遺作、遺書から日本人の死生観に迫ろうとした「永訣かくのごとくに候」(大岡信、弘文堂、1990年刊)の最終章で、大岡さんはこう記しています。

 書く前からわかり切っていたことだが、私が書くことは、どこまでいっても「死」そのものにふれることはできず、逆に「生」のさまざまな極限的なあり方を、私の興味を惹く場合場合において追ってみることしかできなかった。

 大岡さんが興味を惹かれ、取り上げたのは国木田独歩、夏目漱石、松尾芭蕉、正岡子規、岡倉天心などの、死に様ではなく、死を前にした生き様。

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 漱石は大量吐血した臨死体験がありますが、その後、死によって完成を見なかった「明暗」の執筆に並行して、漢詩を作っていました。死の20日前の漢詩「白雲吟(はくうんのぎん=ただし漱石が付したタイトルは「無題」)」を、大岡さんは日本近代詩の最上級の作品と評します。

 考えてみれば、日本における「漢詩」というのは、とても興味深いジャンルです。五言絶句、七言絶句などの韻律豊かな形式です。そして特定の形式という入れ物だからこそ、託して表現できることがある。

 漱石の漢詩に併せて、明治期における表現形式についての論考もあり、わたしはふむふむと、頭の中で心地よく思いを転がしました。

 日本には古代から和歌、俳句、明治以降は自由詩がありますが、わたしたちが生み出した定型詩と並行して、漢詩はこの国でも脈々と途絶えることのなかったジャンルです。改めて、この事実を軽視してはいけないと思いました。

 心の動揺を生々しいまま託そうと試みるとき、適しているのは<やまとことば>です。

 一方で、心のありようをくっきりデッサンし、清廉な輪郭線を描くことで余情を響かせるとき、漱石にような教養ある明治の人には漢詩がしっくりきたのではないでしょうか。

 世が不条理で成り立っている中で、絶対的な真理を求め続けた漱石。大岡さんは辞世とも言える漢詩「白雲吟」について、こう記します。

 深く考える懐疑家の眼は、安易な信仰者の眼よりも遥かに澄んで、神聖な光さえ帯びる

 漱石が心を託したのは漢詩でした。残念ながらわたしには、漢詩を味わう素養はありません。

 (この稿の末尾に詩文を付しました)

 

 次に俎上にのるのは、芭蕉。大阪で病に臥し、弟子に書き取らせたあの吟。

 旅に病(やん)で夢は枯野をかけ廻(めぐ)る

 素人目にもカッコいい生き様と、辞世の句。本書によると、これには別案があって、芭蕉は弟子の支考に問いかけます。実はね....

 (旅に病で)なほかけ廻(めぐ)る夢心

 というのも悪くない気がするんだけど、支考くん、どっちがいいと思う?

 支考は切れ者で、後に蕉門の嫌われ者になりますが、この時ははたと困りました。別候補の方は、上五が「旅に病(やん)で」のままでは<無季>になるからです。「枯野」という季語が消えてしまう。

 衰えて死の床に臥す芭蕉を思い、支考は「では上五はいかがいたしますか」と、問い返すことができませんでした。

 芭蕉の死後、支考は己の躊躇を少しばかり後悔します。もしあのとき、師匠に上五をたずねていたら、霊妙な上五が先生の口から漏れていたかもしれないのに....と。

 こうしたエピソードを紹介して、大岡さんが述べているのは、死の間際まで俳句にこだわった芭蕉の生き様です。

 芭蕉は俳諧を<妄執>と観じ、死後があるなら、そこでは縁を切ると言っていました。

 だからこそ、生きているうちに「執念をもって自作を推敲し、遺憾なきを期することは、詩人の当然とるべきこの世との訣別の態度に他ならなかったのである」

 

 ううむ。と唸りながら、毎夜、ビールと焼酎ばかり飲んでいた大型連休でした。息抜きのオンラインゲームでボコボコにされ、天を仰いだりもして。 

 この本、絶版なので書店にはありません。私はヤフオクで古本を落札しました。30年前に弘文堂から出た「叢書・死の文化」15巻中の11巻目ですが、今はもうこんなシリーズを企画する出版社は、ないだろうなあ。

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漱石の漢詩・白雲吟

無題 

眞蹤寂莫杳難尋
欲抱虚懷歩古今
碧水碧山何有我
蓋天蓋地是無心
依稀暮色月離草
錯落秋聲風在林
眼耳雙忘身亦失
空中獨唱白雲吟


眞蹤(しんしょう)は 寂莫として杳(よう)として尋ね難く
虚懷を抱かんと欲して 古今を歩む
碧水碧山 何ぞ我れ有らん
蓋天蓋地 是れ無心
依稀(いき)たる暮色 月は草を離れ
錯落(さくらく)たる秋聲 風は林に在り
眼耳 雙(ふた)つながら 忘れ 身亦た失はれ
空中に 獨り唱す 白雲の吟を