田舎住まいのうちには、2本の桜があります。1本は道路に面した狭い一角に植えた桜桃。サクランボがなるミザクラ(実桜)で、早咲きです。例年、彼岸のころ満開になるのですが、今年はやや早く、昨日あたりから開花し始めました。
いよいよ春本番は近い。
母の命日は3月17日。ようやく一輪、咲いた枝を切ってベッドサイドに持っていってから、いつの間にか20年近くが過ぎました。
実は今年、咲くかどうか心配しました。
記録的な大雪に見舞われた1月。雪の重みで、枝分かれした幹が縦にざっくり裂けたのです。しかし樹木の生命力はすごい。裂けても枝先までしっかり水と栄養を運んで花ひらきました。
もう1本は樹齢30年余りのソメイヨシノ。苗木だったのが、いつのころからか庭の主役に成長しました。そちらは、つぼみが膨らみがじめたところです。
毎年、桜桃に2、3週間遅れて開花。満開のソメイヨシノを見ると、いよいよ心から春を実感します。
いつから、こんなに桜が好きになっかのか。年齢のせいだろうかと、ふと考えます。
歌書よりも軍書にかなし吉野山 支考
詩人でフランス文学者の安東次男さんが、「近世の秀句」(安東次男著作集5・青土社)で取り上げている句です。
吉野山は古代から歌われ、秀吉が花見を催したことでも知られる桜の名所。しかし一方で、闘いに敗れた男たちが落ちのび、一時身をよせ、そして滅んでいった歴史を持つ地でもあります。
源頼朝の討伐から逃れようと、身を隠した義経と弁慶が静御前と別れることになったところ。護良親王が鎌倉幕府に対して反旗を揚げた地。また京を逃れた後醍醐天皇が、南朝を開いたのが吉野。安東さんによれば、この句は南北朝の動乱を念頭に置いた作のようです。
歴史が好きなわたしに、この句はすっと入ってきました。桜の華やかさと滅びに、いにしえの叫びや呻きがこだまする幻のイメージが、支考の眼を通して静かに17文字に置き換えられたような。支考の視線は、散りそめの花びらたちをのせた、春の冷たい風ですね。
各務支考は芭蕉の弟子で江戸時代の人。ちなみにこの句は無季(季語がない)の掟破りだそうですが、吉野山といえばふつう、季語がなくても桜で春だよなあ。それではいけないのだろうか?
桜は西行をはじめ文学でさまざまに取り上げられ、また小難しいことは抜きにして、花見で酔い騒ぐシンボルにもされてきました。どちらの桜も、わたしは好きです^^。庭のソメイヨシノが咲けば、昼から家飲みする理由にもなったりして。
蛇足を1枚。今年はまだなので、去春のうちのソメイヨシノを。