当面の課題や締め切りをクリアして、ふっと息をついてビールを飲みながら、最近ついついハマるのが<戦国ixa>というオンラインゲームです。負けると悔しい!...ので、強くなりたい。
そこにはクリック2、3回で簡単に課金、戦力強化できてしまう、ネット社会の罠があります。いやいや、そんな罠には陥らないよと、意を決してノートパソコンを閉じ、万里の長城のごとく並ぶ積読本に目を転じます。
最近、書架の奥から30数年ぶりに復活し、机上に構築された万里の長城の一部を構成するに至った「レオナルド・ダ・ヴィンチの手記」(杉浦明平訳、岩波文庫)などは、適当に拾い読みしてゲームの誘惑を断ち切るのにぴったり。
わたしがネット空間に夢見る戦国の覇者より、500年前のイタリアに生きたレオナルドの凄さといったら。
水中に投げ込まれた石は数多くの波紋の中心となる。その波紋は石の当たった場所を中心とする。
そして空気も同様に波紋でみちている。その中心は空中につくられた音および声である。
下巻にある「科学論」の中の断片(122ページ)。まあこれ、現代の常識からすればどこにも目新しさはありません。しかしコペルニクスやニュートンが衝撃的な学説を公にする前のルネッサンス期、レオナルドは空気と音についてこう発見し、水の波紋になぞらえて認識しているわけです。
大地を覆う<空気>というものに着目し、鳥がなぜ空を飛べるかについてもおびただしい考察を残しています。
「モナリザ」の、有名な微笑はとりあえず横に置いて、彼女の背後に広がる遠景。静かで存在感にみちた空間描写、空気感の表現を、思わず見直してしまいます。
「つまり空気遠近法だろ」と詳しい方にはピシャリと言われそうで、まあそれはその通りなのですが、レオナルドがリアル空間に関するこんな科学的な知見に至った上で描いた背景だと思うと、なんだか違って見えてくるのです。
特に、ビールの次の焼酎に至り、酩酊する今夜などは。
レオナルドは生涯に5,000枚にも及ぶ手記を残していて、内容は文学、絵画、科学など多岐にわたります。それぞれのテーマで書物にまとめ、出版したい意向を持っていましたが、実現することなく没しました。
岩波文庫の上下本は、手記の一部。30年以上前に買った本だからもう絶版だろうと思って調べたら、今も岩波文庫で出ているようです。
さて、こんな具合なので、ネットの戦国空間におけるわたしは、永遠にボコボコにされ、討ち死にを繰り返す愚将のままなのでした。悔しい...。