週末にかけて東京に出かけ、両国、翌日の夜は銀座の端で、友人たちと飲みました。2泊して夕方の新幹線で富山駅に帰着。改札を出ると、駅の南北をつなぐ自由通路で恒例の古本市<BOOK DAY とやま>が開かれていました。年数回、地元の古本屋さんたちがこぞって出店する催しです。
ローカル線との接続時間の合間に慌ただしく見て回り、2冊を衝動買い。どちらも初めて知った本です。夜、部屋でちびちび飲みながら、それぞれの表紙を眺め、ぱらぱら拾い読みし、巻末の奥付けで刊行年月日を調べ。古本との出会いを楽しむわけです。
「ベケット・放浪の魂」(堀田敏幸、沖積社、2017年刊)。定価3,500円が、1,600円。
「安部公房の劇場」(ナンシー・K・シールズ、新潮社、1997年刊)。こちらは定価2,400円が1,500円でした。
ブックオフの格安本に慣れてしまうと、なんだか値付けが高く思えてしまう。でも、そうではないな。そもそもチェーンの大型古書店に、この手の本が出ることは少ない。もしあったら「めっけもん」だけれど、画一的に売値をつけた店の見識を、わたしは心の底で馬鹿にすると思います。
大学生だった昭和50年代前半、山手線高田馬場からの通学路が古書街でもありました。店ごとに得意分野があり、この店は日本の近代文学と詩、あそこは主に翻訳文学、歴史学ならまずあの店に当たって....とか。
貧乏学生ですから、気になるのは値段です。
たとえば、白水社が出したベケット作品集(戯曲を除く)は、当時すでに絶版。再版を願ってもついに空しかった。ある店で1冊だけ見つけときは、定価とほぼ変わらない値段で2,000円以上でした。
いい作品だし部数も多くないから、仕方ないよなと思う。渋々でも値付けに納得できた店であれば、同じ店の自分は詳しくない本の価格も個人的に信頼できます。ときには定価より高かったとしても。
まれに、歴史が専門の店の隅に、なぜか翻訳書が格安で眠っていたりして、そんな掘り出し物に出会うのも楽しみでした。ふり返れば、どんな値を付けるかで、買い手も店主の力量をはかっていたと思います。店主の方も、しばしば来店する客のことをよく覚えていました。
当時、そんな具合に古本屋と本好きはつながっていた。安易に使いたくない言い方だけれど、<古きよき時代>だったなあ。1冊1冊、卒業までに根気強く探し続けたベケットの作品集10冊は、いまも書架の奥にあるわたしの大切なシリーズです。
さて、今日の駅の古本市。わたしと2冊の本を引き合わせてくれたのは「コメ書房」というお店です。土地だけはたくさんあるけれど、少子高齢化と人口減少が危機的に進む、ど田舎の田んぼの中で6年前に開店しました。
古い農家の納屋を改装し、簡素なカフェを併設したおしゃれな<古本屋さん>が誕生したのです。店主が四季折々の田園風景を織り交ぜ、facebookで情報発信しているのを見つけ、わたしは一度訪ねたいと思いながら実現できていませんでした。
今年に入り、3月末をもって閉店する告知が、突然facebookに出ました。ああ...。なぜもっと早く訪ねなかったのだろう。心の中で悔しいため息がもれました。
ところがコメ書房は、閉店しても今回の古本市には選びに選んだ本を集めて、出店していたのです。
「閉店しちゃったんですよね」
「え」
「facebook見てました」
「あ、そうなんですか」
笑顔。物静かで、いい目をした青年店主でした。
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