ことばを食する

私的な読書覚え書き。お薦めできると思った本を取り上げます

里山に生きた人びと 〜「二人の炭焼、二人の紙漉」米丘寅吉

 図書館の奥に眠っていたこの本を、これから読む人はそう多くないでしょう。何人か、せいぜい何十人かもしれません。既に絶版で、ネット検索するも古本はなかなかヒットせず。地元の図書館検索で探し、貸し出し可の1冊を見つけました。

 「二人の炭焼、二人の紙漉」(米丘寅吉、桂書房、2007年)は富山県の東端、新潟と長野に接する朝日町、その山あいの集落に妻とともに生きて生涯を終えた米丘寅吉さんの回顧録です。

 米丘さんは大正7(1918)年、旧富山県下新川郡南保村の蛭谷(びるだん)に生まれ、戦時中は中国、フィリピン、ベトナムなどで4年余り従軍。戦争を生き抜いて山の集落に生還、結婚しました。以来、夫婦2人で炭を焼き、炭焼きで食えなくなると造林に転じ、晩年は妻を看病しながら、地域に伝わる蛭谷和紙を漉いた人です。

 田や耕作地に恵まれない山あいの集落では、春から晩秋までの炭焼きと、厳冬期の紙漉きが暮らしを支えました。熊撃ちを生業とする人もいました。そんな時代の日々が飾ることなく綴られ、生活を襲う波乱万丈の<事件>や災害、病気や死に、夫婦2人で立ち向かった姿が鮮やかに立ち現れてきます。

 読んで心に残るのは厳しさと、自由。今の世も、冷たい厳しさに溢れています。でもこの回顧録に漂う厳しさは、一歩間違えば命にかかわるけれど、素朴な人の心と自然の大きさが背後にあります。また今の世の方がよほど個人の自由は保証されているけれど、現代の自由はなんと貧しいことか。

 電気は裸電球とラジオのためにあり、石油もガスも家庭になかった昭和30年代前半まで、炭と薪が日本中の家庭のエネルギー源でした。米丘さんは夫婦二人で山に籠り、炭を焼き続けます。春から雪が降るまで、1年で一つの山の目ぼしい雑木は全て伐って焼いてしまう。翌年はまた、別の山へ移ります。

 広葉樹は切り口から容易に芽吹くので、伐っても30年余りで再び生き生きとした森林に戻ります。そのサイクルを考え、毎年炭を焼く山を変えて炭焼き窯を築き、30数年で一巡するのが理想とされていたそうです。そこからは、人と自然の共生関係が読み取れます。

 ちなみに針葉樹はいったん伐れば芽吹くことなく、だから植林されたスギの人工林に自然の再生サイクルは生まれません。

 そして炭とともに一気に衰退したのが、日本の和紙文化。

 2人が生きた蛭谷には、少なくとも数百年前から、限られた史料からの推測なら千数百年の昔から、人々が生産してきた蛭谷和紙(現在は越中和紙の一つとして国の伝統工芸品指定)がありました。

 米丘さんの妻・ふじ子さんは、戦後に集落で途絶えた和紙作りを再興します。ふじ子さんが病に倒れた後は、米丘さんが継いで和紙を漉き続けました。

 

 出版元の桂書房は、細々と、しかしいい本を今も出し続けている地方出版社です。紙の印刷文化が衰退し、ベストセラーしか注目されないのが現実ですが、これからも頑張ってほしい。たまたま、仕事の資料を探して出会った1冊でした。