読み始めから、歯切れのいい文章のテンポに引き込まれました。北海道の厳しい自然と、街に馴染めず、独り猟師として生きる男の息遣いが立ち昇ってきます。
「ともぐい」(河﨑秋子、新潮社)は、2023年下半期の直木賞受賞作。主な舞台は明治後半の北海道、人里離れた山中。男は相棒の犬と鹿や熊を追い、愛用の村田銃で獲物をしとめて暮らしています。
山から下りるのは、肉や毛皮をお金に換えるため。その金で弾薬を買い、米や酒を仕入れる。生きるために、街の人びととの最低限の交わりは必要です。この二つの世界の対比、描き分けが作品を立体的にし、結果として自然の荘厳さが際立っています。
ある日、雪に残った血痕をたどって、瀕死の男を助けたことから物語が動き出します。熊に顔を抉られた男は、遠方から、冬眠しない熊「穴もたず」を追ってきて逆襲されたのでした。こうして、自分が猟場とする山々に、獰猛な「穴もたず」が入ってきたことを知ります。
全編を通し、熊との壮絶な闘い、人の善意と悪意、か弱い生き物である女というものの底知れない恐ろしさが、日露戦争へ向かう時代を背景に語られます。
山に生きる動植物たちの描写、獲った鹿の解体作業など、感嘆するほどのリアリティー。しばしば人の心を自然現象に置き換えた比喩が使われ、これも巧みで無理がありません。作者がいくら北海道在住とはいえ、不思議なくらい。
ネットで河﨑さんのインタビューを見つけ、なるほどと思いました。執筆に際して多くの資料を精読しただけでなく、本人が元はプロの羊飼。ハンターの兄が駆除した鹿の解体もやったというのです。
主人公の男。熊への怒りを研ぎ澄ます一方で、その強大さを敬います。最後の闘いが終わったとき、本当は山の王者に、自分が殺されたかったのだと彼は気づきます。
「なんで、殺してくれんかった」
生き残ってしまえば、あとは人の世のどろどろと引き延ばされ、薄汚れた悲劇の時間だけが、自分を待っていると気づいていたからでしょう。作品のエンディングは...書かずにおきます^^;。
同じように自然と人の闘いを描いた小説として、熊谷達也さんの「邂逅の森」を思い出しました。どちらも、街中であくせく生きる、小市民的な善悪の価値観を打ち砕いた秀作です。あえて言うなら、「ともぐい」というタイトルはやや広がりに欠ける気がするけれど。