ことばを食する

私的な読書覚え書き。お薦めできると思った本を取り上げます

おもちさんとユニクロの細いズボン 〜「にぎやかな落日」朝倉かすみ

 朝から気持ちのいい秋晴れ。外に見える木々が陽射しを浴びて輝き、紅葉と冬に向かって急ぎ始めた気配が伝わってきます。部屋の窓際にあるキンモクセイは、例年より1週間ほど遅く満開になり、目覚めの深煎りコーヒーと香りが混ざり合いました。

 「にぎやかな落日」(朝倉かすみ、光文社)を読み始めてふと思ったのは、「こんな秋の日にぴったりの小説だ...」でした。というのも、文章が軽やかで透明感があるのです。

 主人公は北海道で独り暮らしする、おもちさん。82から84歳にかけてのおばあちゃんの日常と内面が、若かった過去へのファラッシバックを背景に、たんねんに掬い取られます。 

 

 人はみんな個性ある唯一無二の存在です。もち子さん・通称<おもちさん>のようなおばあちゃんに、なりたいと思うか思わないかはそれぞれに違いありませんが、読み進むほど、体温をもった一人の女性、いや人間の姿が浮かび上がってきました。

 わたしの年代であれば自分の近い未来と重ね、あるいは介護する親と重ね、そのイメージにしっかりとした手触り感があるのです。朝倉さんの他の作品とも共通する、人を描く作家としての資質、魅力ですね。

 老いることでだれもが得るのは、過去の積み重ねです。いい思い出、頭を抱えたくなるような記憶も含めて、過ぎ去れば同じ重さ、あるいは軽さ。

 20歳の若者は、30歳や50歳の自分をふり返ることができません。おもちさんは82歳だから、一つひとつの今にも、さまざまに記憶が結びつきます。高齢化が進む社会は、老人の心の、そんな「豊かさ」をもっと知り、尊重しなければいけない。

 さておもちさん。直近の記憶がすっぽり抜け落ちることがあり、自分自身の現実を認識しつつ、その場その場はクリアな意識で瀬戸際の対応をしています。初期の認知症の疑いがある、派手で地味で、ややキャラの立ったそのへんにいるおばあちゃんです。

 しかし持病の糖尿病が悪化し、ついに監視のない独り暮らしが許されなくなります。なにしろおもちさん、自分の前で繰り返されるケットーチ(血糖値)だとかなんとか、訳のわからない説明が理解できず、あるいは理解する努力をはなから放棄し、医師や看護師に隠れて好きなお菓子を食べまくってきたのだから。

 入院しても口紅をひき、ユニクロの細いズボンをはいて写真を撮ってもらう年金が頼りのおばあちゃん。

 東京に離れて暮らす娘、近くに暮らす長男の嫁はとても献身的です。しかし、いざとなったとき、あなたのために全ての時間を費やすことはできないと伝えます。おもちさんは「それはそうだよな」と思い、でも別口で寂しい。そして、結末は...。

 

 わたしが暮らす地、今日の天気予報は晴れ、午後から曇り一時雨でした。予報通りになり、しかし午後も雲間から晴れ間がのぞく時間があって、くるくる変わる秋の空ですね。

 「にぎやかな落日」も、秋の天気に足並みをそろえるように展開します。晴れだと思ったらいきなり雨、曇り、雲間から日が射して長い影が見え、冬に向かう風の具合まで、味わいながら楽しませてもらいました。

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    → Amzonの「にぎやかな落日」にリンク