ことばを食する

私的な読書覚え書き。お薦めできると思った本を取り上げます

森田知事が青春のシンボルだったころ 〜「文學界」昭和60年11月号

 お世辞にも几帳面とは言えない性格だから、本の整理がつかなくなって、ずいぶんになります。だからある本を探していたら、書架の奥から雑誌「文學界」昭和60(1985)年11月号が突然出てきても、なんら不思議はありません。

 不思議なのは、なぜこの年のこの文芸誌があるのか、ということです。

 昔から文学系の月刊誌を買う習慣はありません。であれば、何らかの目的があって買ったはずなのに、表紙を眺めても目次をめくっても、まったく思い出せない。

 むしろ裏表紙を占める広告に目が止まってしまい。おお、若き日の千葉県知事さんではありませんか。

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 「森田健作のわれらコーヒー仲間」というラジオ番組の広告。一度も聴いた記憶はないけれど、書いてある毎月の出演ゲストも懐かしい。

 3月の予定は岡田有希子さんだから、自殺(1986年4月)はこの後だったのか。若いみなさんには、単に「?」の世界でしょうけれど。広告主は全日本コーヒー協会。

 検索すれば今も自殺直後の生々しい現場写真がヒットします。そんな写真が普通に週刊誌に載った時代でした。高校生を中心にした、ファンの後追い自殺が相次いで社会を驚かせました。

 さて、いちおう、表紙と目次も載せます。

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 澁澤龍彦、中上健次らが健在でした。特に中上健次は小説だけでなく、「坂口安吾・南からの光」という安吾論まで書いているから、わたしはそれで買ったのか?。いや、違うなあ。

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 1985年秋、わたしは地元新聞社の社会部遊軍記者として、ある出来事を調べていました。その年の冬、公園のトイレで女性の凍死体が見つかっていました。殺人などの事件性はなく、それ自体は片隅の小さな記事で終わりました。

 ただ、発見時の警察への第一報は「おばあちゃんが死んでいる」でした。

 亡くなっていたのはおばあちゃんではなく、40代の女性でした。なぜ、発見者は「おばあちゃん」と見誤ったのか。女性は、見間違われるような容貌だったのか。

 調べると、障害を持つ子供をかかえ、離婚し、公的支援にも弾かれた一人の人生が浮かび上がってきました。やがてバブルに至る、「一億総中流」と浮かれていた社会からこぼれ落ち、底辺でもがき、汚い公衆トイレで凍死に至った姿にぶつかったのです。

 「文学や小説なんて、所詮はみんな絵空事ではないか」ー。

 仕事で現実を追いかけていたわたしには、そうとしか思えなかった時期でした。現実はリアルで深く、文学よりよほど<面白い>と考えていた。

 だから、よけい謎なのです。どうして絵空事を代表する文芸誌、しかもあの当時の「文學界」がこの部屋にあるのか?。

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 以下は余談ですが、トイレで女性の凍死体が見つかった件について、後悔ばかりで思い出したくないのが本音です。若く、あまりにも未熟だったことによる取材の浅さと狭さ。

 後日、1本の長い記事にしましたが、所詮は「お涙頂戴」の読み物でした。事実の裏の入り口だけさらりと撫でて、甘い取材で済ませた安易な仕事。本当は、時間をかけて1冊の本にするくらいでようやく、亡くなった女性に顔向けができたはずです。

 「プロの仕事ができなかった」。時を経るにつれ、忘れるのではなくて、深まっていく悔恨が幾つもあります。

 あれ。古い「文學界」から、おかしなところに話が飛んでしまいましたw。今夜の焼酎は苦いなあ...

             

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