ことばを食する

私的な読書覚え書き。お薦めできると思った本を取り上げます

ホタル狩り

 梅雨に入り、ホタルが舞い始めました。さすがに近所で見ることができる人はごく少ないにしても、探せば結構あちこちに観賞スポットがあって、わたしが暮らす街は車で30分も走れば行けるのです。東京、大阪のような都市部にお住まいの方は、そうもいかないのでしょうけれど。

 新型コロナによる自粛もひと息ついた先日、久しぶりに夜は外食にして、暗闇に包まれるころ、里山が迫る農村地区を訪ねました。ホタルを見ようと。そんな来訪者のために公民館の駐車場が開放されていて、地元の人たちの配慮がうれしい。

 青白い明滅の中に立てば、しばし俗世の心配事を忘れます。沢沿いの繁みのあちこちに光り、木立の葉にも。舞うホタルは、農道を挟んだ田んぼにまで。

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 ゆっくり飛ぶホタルは、人の存在も気にせず周りを舞います。両手で包み込むようにすると、わりと簡単に捕まえられることをご存知でしょうか。手を開けば、いっとき掌を照らし、また舞い去ります。

 ホタルは不思議なことに、万葉集にほとんど出てきません。比喩として1例出てくるだけらしく、奈良時代の日本人の感性にはそれほど響かなかったのでしょうか。

 文芸作品にさかんに登場するのは平安期からなのです。なぜ?。奈良から京都へと、時代の移り変わりに何があり、日本人の感性にどんな影響を与えたのか、答えてくれる本があれば読みたいのですが、未だ出合えていません。

 源氏物語五十四帖の中で第二十五帖は「蛍」の巻。几帳のうちにたくさんのホタルを放ち、女性の顔を照らし見るシーンが出てきます。なんともロマンチックですね。まあ、どろどろした愛憎とコインの裏表になっているのがこの作品の凄さですが。

 「谷崎源氏」を読んだのが高校生の時。その後、岩波文庫で原典の読破を試みましたが、2冊目半ばで挫折しました。大学は英文科に進み、なぜかフランス文学のサークルに入って興味がシュールレアリスムの方にスキップした時期だったのです。(若かったことよ...と、遠い目)

 岩波古典文学体系の源氏5巻は部屋にありますが、おそらく死ぬまで読破することはないでしょう。読みたい気持ちはあるけれど、読めない本ばかりが増えていくとしたら、老いるとはやはり寂しいことです。

 源氏物語に限らず、ホタルに恋心や魂を託した歌も多くあります。和泉式部の

 もの思へば沢の蛍もわが身より あくがれいづる魂(たま)かとぞみる

 などは代表例でしょう。『もの思へば』とは恋患い。『あくがれ』は、本来あるべき場所からさまよい出ること。転じて、現在の「憧れ」になりました。

 古戦場に舞うホタルに、戦で息絶えたおびただしい武士たちの霊を見る伝説もあったりします。

 日本人は身近な虫や植物に、様々な思いを託してきた文化的土壌を持っています。ホタルもそんな生き物の一つでしょう。以前<桜>について書きましたが、これからシーズンになったら、<セミ>や、<秋の虫の声>と文学、みたいなテーマでも、好き勝手に書いて見たいなあ...。

 ところで行きつけのコーヒー店に、店の新聞を毎日隅々まで読む、年配の常連さん(昔からの知人)がいます。先日「最近は読むのが辛い」とこぼしていました。何せこの半年近く、どのページめくっても新型コロナばかり。感染関連に加えて、仕事が激変した、売り上げが大打撃、勉強はーなど、いつになっても悲鳴や不安が消えないから、と言うのです。なるほど、確かに。

 全般的な世の空気はまだ、ホタル鑑賞どころではないのでしょう。しかし、あえてお勧めします。ホタルの穴場探索。進むためには、ときに立ち止まることも必要だから。

            

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