過去になかった暖冬、というより異常気象のせいで、桜の開花が記録的な早さになりそうだと、気象会社は予想しています。早くも気になり始める桜前線。桜ほど、日本人に愛される花はないでしょう。いったいいつから、そしてなぜなのでしょうか。
奈良時代、万葉集に出てくる花といえば桜より梅です。「令和」の出典になった「初春令月、気淑風和」(初春の令月にして、気淑く風和らぐ)も天平2(730)年正月13日、新暦の現在なら2月ごろ、九州・太宰府にある大伴旅人の館で、客人たちが梅を愛でて歌を詠む場面に添えられた一文です。
ところが平安時代になって、桜が主役に躍り出ます。万葉の頃まで山に自生していた桜は、奈良時代の後半から次第に寺院や邸宅に移植され、平安期には貴族たちに広く愛される「家木」になりました。身近に桜を見て、日本人は華やかさに加えて「散る美しさ」を知ったようです(「桜の文学史」小川和佑、文春新書=絶版)。散る美しさは、やがて滅びの美しさにつながります。
<桜の樹の下には屍体が埋まっている>
バラと比べてみればよく分かます。そもそも花は満開を愛でるものであって、散っていく姿にまで心を託す花がほかにあるでしょうか。こうして桜は華やかさに、滅びという独自の陰影を獲得して今に至り、私たちの心に深く根を下ろしています。
滅びに美を見出すというのは、極めて日本的な感性です。そこに仏教思想の影響を指摘する人も少なくありません。
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり
で始まる「平家物語」などは、華やかさと滅びを代表する古典でしょう。平家物語の中にも、桜はさまざまに登場します。近代文学なら、川端康成や三島由紀夫の美意識と<滅び>は、作品に通底する基本的な調べになっています。
さて、桜を主役にした作品です。
貴族社会から武家社会に移行した時代、<願わくば 花の下にて 春死なむ....>と詠んだのは晩年の西行でした。ここに歌われている「花」はもちろん桜を指します。いやいやその前の平安期に<散ればこそ いとど桜は めでたけれ 憂き世になにか 久しかるべき>(伊勢物語)というのもありました。散る美しさがそのまま歌われています。
昭和の初め、梶井基次郎は<桜の樹の下には屍体が埋まっている>と小説の冒頭に書きました。桜の美しさは、死のイメージと表裏一体になって、文学の世界で凄みを増したのです。梶井の「桜の木の下には」は、散文詩の趣もある密度の高い短編で青空文庫でも読めます。
坂口安吾の「桜の森の満開の下」などは、人を狂わす桜の凄絶な美を描いて、強くわたしの心に残っています。
一方で、花見が庶民の楽しみになったのは江戸時代から。厳しい冬の終わり、いのちの春到来を喜び、楽しむ。大切な日本の風物詩です。入学式のシーズンと重なることで、現代の桜は明るい未来の夢とも結びついています。
そしてこの時期になるとわたしは、どうしても9年前を思い出します。東日本大震災の発生から間もなくして、満開になった桜に何を思い、託したか。わたしは被災者ではありませんが、痛みは自分なりに共有したつもりです。元気な時、どん底にある時、桜はさまざまな陰影で私たちに語りかけてきます。