こんなブログを書いているくらいなので、本屋さんに行くのは好きです。そして、毎回けっこう疲れます。
平積みされた新刊本の山々、店の奥まで何列も並ぶ本や雑誌。目を凝らしてその中を行き来し、手に取り、また進む。物色するわたしの心の中にあるのは、「新しい人を見つけたい!」という欲望に尽きます。
もちろん未読の作家さんや新人の作品は、おびただしくあって、本もまた人の目を引こうと魅力的な装丁やコピーに凝り、元気な本屋さんなら手書きPOPがあちこちに付いています。しかし...
「これは」と思って買った本にがっかりした経験を山のように抱えていると、知らない作家さんに対して、極めて慎重になります。店内を1時間近くうろうろしても、買う本が決まらない。そして、ぐったり疲れてしまうのです。
えてして最後にレジに持っていくのは、よく知っている(好きな)作家さんの未読本を数冊。「また安全な道を選んでしまった...」と、落ち込みながら。
昨日もそんな日でした。
文庫の新刊で買ったのは、堂場瞬一さんの「絶望の歌を唄え」(ハルキ文庫)で、なぜかと言えば立ち読みした巻末の解説が秀逸だったから。
解説を書いているのは、書評家の藤田香織さん。<2020年を迎えた現在、飛躍的に増えてきた「寄り添い小説」に実はちょっと辟易している>で、始まります。
藤田さんが「寄り添い小説」というのは、女性作家による売れ筋の作品群。現代女性の理想と現実、迷いや揺れを主人公に重ねて、読者が励まされ、ときに涙するような小説のことです。
藤田さん自身、たくさん共感してきたとも。でも...、このところ、ちょっと....。
そして堂場作品について、あっさり一言。
<本書「絶望の歌を唄え」は、そうした意味で、読者に「寄り添わない小説」である>
現在の小説ギョーカイへのなかなか新鮮、かつスルドイ視線で堂場作品を照らし出してあり(やや荒技的ではありますが)、つい本を買ってしまいました。ちなみに作品本編の方は、当日中に読了。
神田神保町で喫茶店を営む主人公が、近所で起きた爆破テロに遭遇。彼の過去と、こだわりの生き様が展開されて、小説の世界にきりりとした空気感を生み出しまています。
まあ、堂場作品の面白さについては何度も書いてきたので、今回はスルー。
「小屋を燃す」(南木佳士、文春文庫)は、4つの短編連作を集めた1冊。南木さんは医師としての体験をベースにした私小説が多く、派手さはありませんが好きな作家の一人なのです。今日から取り掛かったところ。
瀬戸内寂聴訳「源氏物語」の方は「須磨」の帖に入り、これはもう各帖ごとに書きたいことがわいてきます。でもそんなことをしていたら体が持ちません^^;。紫式部に限らず、和泉式部、清少納言、式子内親王などなど、恐るべし平安女流文学!
さて、こうピックアップすると、なんだか連日かび臭い本に埋もれて生きているようですが、わたしの読書時間を平均してみると、1日せいぜい2時間弱だと思います。
稼ぎの悪い仕事もあれば、庭の雑草もむしらねばならず、オンラインゲームは手を抜くとボコボコにされるし。
それにしても「読み倒したい!」と思える作家さんと、次はいつ出会えるのだろう。