ことばを食する

私的な読書覚え書き。お薦めできると思った本を取り上げます

コロナ来襲、孤立無援の中の現場力 〜「臨床の砦」夏川草介

 長野県の、ある医療圏。作品中に実際の固有名詞は出てきませんが、おそらく松本市を中心とした圏域において、新型コロナと戦う最前線の医師たちの姿を描いたのが「臨床の砦」(夏川草介、小学館)です。

 医療崩壊、病床使用率などの言葉はこれまでよく耳にしてきた一方で、日々苦悩する医療スタッフの姿を生々しく伝える情報が、極めて乏しかったことに改めて気付かされました。

 圧倒的な未知のウイルスと戦う孤立無援の砦、タイトルにはきっとそんな意味が込められているのでしょう。

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 <ドキュメント小説>と帯にあります。東京新聞のインタビューに答えて、夏川さんは「現実そのままではないが、嘘は書いていない」と話しています。

 患者の人権その他を考えれば、モデルをそのまま登場させることは難しいと思います。何しろ当初は、患者を受け入れている病院関係者というだけで、嫌がらせを受けることがあったくらいですから。

 描かれているのは令和3年の1月3日から、2月1日までの出来事。第3波がピークを迎えた期間です。

 感染症指定医療機関としてその地域で唯一、新型コロナの対応に当たった公立病院に、対応能力をはるかに超える患者が押し寄せます。感染症病床の増設を無理に繰り返し、しかも担当する内科医と外科医に感染症の専門家はいない。

 それでも、立ち向かうしかありません。

 同じ地域の他の医療機関は、新型コロナに門戸を閉ざして、なかなか患者を受け入れようとしません。一般入院患者や通院患者へのリスクを考えれば、軽々しく受け入れられないのは想像できますが、結果的に一つの病院だけに異常な負荷を押し付けることになります。

 やがて、重篤になっても年齢、認知症などの有無を考慮して、人工呼吸器につなぐために遠く離れた高度医療機関に搬送するか(そこもパンク状態)、そのまま看取るかを選択せざるを得ない現実がやってきます。

 消耗戦に苛立ち、焦る医師たち。

 苛立ちや焦りは周りの人間に容易に伝染する。

 言うなれば負の感情はあっという間にクラスター化する。現場の人間が無闇に感情をぶつけ合えば、クラスターはさらに拡大し、組織は統制がとれなくなり、本来の目的である医療どころではなくなってしまう。

 行政の無理解、医療界の足並みの乱れと連携不足を指摘しながら、なんとか踏みとどまろうとする<現場力>が、強く印象に残ります。

 終わり近く、ついに病棟の看護師から陽性反応が出て院内感染が起きます。当時の新聞報道と照らし合わせれば、おそらくこれも事実に基づいています。そしてこのとき語られる医師たちの言葉が、胸を打つはずです。

 夏川さんはベストセラーになった「神様のカルテ」シリーズの作家であるとともに、現役の医師。信州大学医学部を卒業し、長野で地域医療に携わっています。当初から新型コロナに立ち向かってきた、現場体験を基にした作品です。