書店の文庫新刊コーナーを眺めていて、目に入ったのが「愛についてのデッサン 野呂邦暢作品集」(ちくま文庫)でした。
野呂邦暢(のろ・くにのぶ)という作家はずいぶん昔、たぶん大学生のころから知っていました。ただし、作品は未読だったけれど。<邦暢>という名前が読めなくて、読めないから、漢字の視覚的なイメージが妙に残っていたのです。
セットで覚えていたのは、芥川賞受賞作が「草のつるぎ」であること。様々な想像が広がるタイトルで、読んでもいないのに題名だけ記憶に引っかかっていました。
今になって、書店で野呂さんの作品を手に取り、買おうと思ったのは、ささやかな経緯があったからです。それは稿の終わりにふれます。
「愛についてのデッサン」は、父が死んで古本屋を継いだ主人公・啓介を中心にした連作短編集。古書を通して、さまざまな人間模様が描かれます。文庫本の表紙イラストから想像される通り、これ、本好き、特に古本屋さんが好きな人には掘り出し物の小説です。
初出は1978年の「野生時代」7ー12月号。野呂さんは2年後の1980年、わずか42歳で没しています。半ば忘れられた作家の復刻版ともいえる新刊で、本の帯によれば『文庫になることが奇跡の1冊』だとか。
主人公である啓介が経営する古本屋、どんな店か紹介すると
中央線沿線の駅近くに位置した、間口は一間ていどのちっぽけな古本屋である。啓介は売れるものならなんでも売ろうとは思っていなかった。小説、歴史、美術関係に限定し、それも小説なら自分の好きな作家のものをあつかいたかった。
となります。読み進むと、詩集のコーナーにも力を入れた店であることが分かります。そもそもタイトルの「愛についてのデッサン」は、丸山豊(1915-89年)の同名詩集からもらっていて、この詩集にからめて描いた、ほろ苦い男と女の話が表題作なのです。
本というもの、作者が費やした膨大なエネルギーによって世に出ます。買った人の思いが加わり、一部はさまざまな経路をたどって古本屋に並ぶことになります。どんな古本を並べるか店主のポリシーがあり、手にする客はその古本に、また新しい思いを加えます。
こんなふうに考えると、1冊の本の来歴は、物語のベースに格好の素材かも。過去と現在をつなぐ縦糸として、自然に機能するのですから。
この小説に描かれている<愛>は、異性への愛であり、本への愛であり。作品を構築していく筆致には、野呂さんの作家としての誠実さが滲んでいるようで、文章も含めて清々しい読後感がありました。
<愛>の対局に置かれているのは<孤独>。第2話にさらりと出てくる、離婚し、啓介に古い本を贈り、自死する老いた男など、哀しい人の姿として心に残ります。古本屋の舞台裏を含めた日常が、しっかり書き込まれているところも楽しい。
ここからは、どちらかといえば蛇足になります。
野呂さん、どうしてこんなに古本屋に詳しかったのだろう?。作品が書かれた1970年代はまだ、物書きなら親しい古本屋を持っていても珍しくない時代でした。加えて野呂さんは根っからの本好きで、本書の解説によると、長崎から上京すると神田や早稲田、中央線沿線の古本屋巡りを楽しみにするほどだったそうです。
さて、突然話はとびますが。わたしが「古本屋奇人伝」(青木正美、1993年刊)という単行本を読んだのは一昨年でした。<全国古本屋・名物店主列伝>みたいな1冊で、以前このブログに書きました。
この本に、東京の大森にあった山王書房店主・関口良雄さんが出てきます。関口さんは俳句に親しみ、尊敬する作家の著作目録を作ったりした店主。本と文学を、ひときわ愛した人でした。
昭和31年、野呂さんは九州から上京して大森に住む、貧しい労働者でした。近くにあったのが山王書房。顔を出しては、安い古本を買っていたのです。野呂さんは1年で故郷に帰りますが、昭和49年に芥川賞を受賞したとき、わざわざ「昔日の客」として山王書房を訪ねました。
もし「古本屋奇人伝」を読んでいなかったら、わたしは書店で見た野呂さんの本を買わなかったと思います。相変わらず未読作家のままで、邦暢という名前をどう読むのか、今も知らなかったでしょう。
ちなみに「古本屋奇人伝」は、わたしが地元の古本屋さんで買った1冊です。500円くらいだったかなあ。
*********
猛暑が続きます。窓から直射日光が入るので、少々暗くなりますが、エアコンのお世話になり、カーテンを閉めて過ごしています。みなさま、元気にお過ごしください。