ことばを食する

私的な読書覚え書き。お薦めできると思った本を取り上げます

古日記、古本 〜みなさま良いお年を

 俳句には季語が織り込まれている。

 芭蕉の句も、雪山を眺めて隣のおじさんがひねった作も、巡る季節の一断面を詠んでいる。名随筆を遺した物理学者・寺田寅彦は、日本の春夏秋冬が見せる表情は多種多様で、これが私たちの感性を育み、文芸として発展したのが俳句であると「日本人の自然観」に記した。

 

 季語をまとめて1冊にしたのが歳時記で、俳句を作る人には必携の書。折々の動植物、気候、行事が網羅され、素人が拾い読みしても楽しめる。一見「なぜこれが?」といぶかる季語があっても、解説に教えられてなるほどと納得できる。

 

 例えば「古日記」は、さてどの季節を表すのか。答えは冬である。年が改まると、真新しい日記帳を開いてペンを持つ。前年の喜怒哀楽が詰まった1冊は、その日を境に古日記になる。

 <古日記心貧しき日は飛びて>(朝倉和江)

 

 同じ冬の季語でも「日記買う」は、師走のころだろう。近所の書店に行けば2022年の日記が、手帳や家計簿と並んで平積みされている。昔に比べて売り場が寂しいのは、紙に言葉をつづるより、パソコンやスマホに記録保存する時代になったからだ。

 

 子どものころから日記を書いても三日坊主だったので偉そうに言えないが、IT社会の進展に伴って失われゆくものについて考えてみる。手のひらに感じる年末年始の1冊、365日の重みもその一つか。

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 最近、新しい本を読む時間の余裕がなく、代わりに先日書いた年末用コラムを再録しました。改行など一部は、新聞紙面と変えてあります。

 新型コロナに明け暮れた今年も、明後日は大晦日。次のブログ投稿は2022年になると思います。

 実は1年を振り返って「よかった本ベスト3」でも挙げてみようかと思ったのですが、考え始めると難しく、かつ大した意味もないと思い至り、やめました。

 でも印象に残った本なら、すぐに思い浮かぶ1冊があります。ネットで四国の古本屋さんから買った、日本の古典本でした。栞紐は折り込まれた最初のままで、ほとんど読んだ形跡がなく、そして表紙を開くとはらりと1枚の紙が....。

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 昭和53(1978)年4月13日の本屋さんの領収書でした。買ったのはAさん。ネットで調べたところ、香川県にあったこの本屋さんは、既に店仕舞いしていました。本はAさん、もしくは遺族の方が地元の古本屋さんに売り、北陸に住むわたしの手元にやってきたわけです。

 商品に前の持ち主が分かる痕跡を残すのは、古本屋さんとしては原則タブーです。蔵書印が押してある場合などは別として。でもこういうことがあると、買ったわたしの方はいろいろ想像して楽しんでしまいます。

 古本屋さんで働いた経験のある三浦しをんさんが、仕入れた本についての面白いエッセーを書いています。商品として棚に並べる前に検品すると、ページの間には実にいろいろなものが挟まれているそうです。

 お札でも出てくればラッキーなのですが、そんなことはもちろん皆無で、髪の毛やフケは当然パラパラと払い落とし、時にはとんでもないあれこれが挟まっていたり。また毛は毛でも、どう見ても頭の方ではないやつだったりすると、なぜこの高尚な本の間にこれが!と、思わず妄想し.....

 とか何とか、痛快なエッセーなのですが、書名をみなさんに紹介しようとして困り果てました。三浦本を机に積んで探索を試みても、どの本のどこに収められたエッセーだったか突き止められません。いま、面倒は放棄したいほろ酔いなので、探索をやめました^^;。

 さて、数年前にも地元の古本屋さんで買った本の、元の持ち主が分かったことがありました。ページの間に、ハガキが挟まれて残っていたのです。しかも、仕事を通じて昔訪ねたことのあるBさんに宛てた、出版社からのハガキでした。

 「もしや」と思って調べたところ、Bさんはやはり亡くなっていました。元学校長で、大変な愛書家でした。膨大な蔵書の処分に困り、遺族が一部を古本屋さんに引き取ってもらったのでしょう。そして、私は何も知らず1冊を買ったわけです。

 おかしなもので、Bさんの本にしても、四国のAさんの古典本にしても、以前の持ち主がイメージできると妙に愛着がわきます。飼い主を失った犬が、この部屋にたどり着いたような。次はわたしがエサを与え...ではなくて、ページをめくって、また楽しませてもらうわけです。

 

 来年は、本とのどんな出会いがあるのだろう。みなさま、どうか良いお年をお迎えください。