ことばを食する

私的な読書覚え書き。お薦めできると思った本を取り上げます

手練れ作家の、とっておきメニュー 〜「剣客商売」池波正太郎

 「60半ば過ぎた男性って、どうしてあんなに時代物が好きなの?」

 以前、わたしにそう問いかけたのは、とある公立図書館に勤める知人女性でした。貸し出し業務をしているので、今どんな本が人気か、仕事を通じて手にとるように分かるわけですが、時代物だけは世の流行り廃りに関係なく人気なのだとか。特に、年配の男たちに。

 人気の理由は、例えば「剣客商売」(池波正太郎、新潮文庫、シリーズ全16冊+番外編あり)を読めば分かります。

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 面白い。そもそも人というもの、腹が減るから食べるし、面白いから飽かずに読むわけです。

 「剣客商売」という小説、料理に例えるなら高級なフレンチやおしゃれなイタリアンではなく、凝った和食でもありません。年季が入って、少々くたびれたのれんを掲げる街中の店。出てくるのはお任せ定食で、これが...。

 ある日はピリリと山椒が活かしてあって箸が進み、別の日は、ふっくら炊き上げたご飯に煮染めたアサリを交ぜ合わせた、丼めしが出てきたり。さて、出汁のきいた味噌汁の具は...。あとは酒ももう1本追加してと。

 毎晩通いたくなるのはこういうお店です。

 さて、小説の方。1話完結・各数十ページの中編を連ねたシリーズ。一番多く主人公を務めるのは60を過ぎたじいさん。これが20過ぎのなんとも憎めない女房と暮らしています。むむ!。

 しかもこのじいさん、かつては知る人ぞ知る剣の達人。今もその腕衰えず、というか年相応の狡さ(失礼、戦略)も加わって、悪を切ります。

 まあこれ、年老いて疲れた世の男たちにとっては<理想>ですね。男は、つまり単純。悪い奴らについても、悪に陥った事情が要所はしっとり書いてあるから、作り物として薄っぺらくなっていません。

 そして、食い物。

 各話ごとに江戸の季節の移ろいがさらりと書き込まれ、季節に合った庶民の味が、なんとも美味そうに登場します。

 読んでわたしが思ったのは、最近はやりの<食レポ>などは愚の骨頂。絶妙の...とか、奥深い...などと説明するほど、伝わりません。簡潔に淡々と、1品につき2、3行だけ作り方を記せばよろしい。読んだわたしの中で、どれほどの美味しさが広がるか(たぶん実物以上に)。

 食べ物についてだけでなく、こうした書き手としてのツボを知り尽くしているのが、池波さんの抜きん出たうまさだと思います。

 

 例年、盆と正月は、1日では絶対に読み終われない長さの、かつ面白い本を読んで(しばしば再読して)英気を養うことにしています。今回は「剣客商売」でした。いや、過去形ではなく、お盆に向けての現在進行形。