ことばを食する

私的な読書覚え書き。お薦めできると思った本を取り上げます

<美味しい>小説、についての覚え書き

 お盆前から池波正太郎さんの「剣客商売」(新潮文庫、全16冊)を読み始めて10日ほど。14冊目に入って、残り3冊になると、ちょっと名残惜しいような。

 わずか10日ほどとはいえ、ずいぶん日も短くなり、午後6時半を過ぎると夕闇が迫ってきます。戻り梅雨のような豪雨が各地であり、新型コロナの5波は爆発状態。わたしが暮らす地も、新規感染者がうなぎのぼりです。

 読書は、一時的にでも現世におさらばできるリフレッシュの時間か。

 豆腐を買って来て井戸水に冷やしたのを皿へ乗せ、醤油と共に胡麻の油を少し垂らし、薬味の紫蘇をそえて、

 「秋山先生。こうすると豆腐も、ちょいと風変わりな味となります」(剣客商売『剣士変貌』から)

 うーん。これならわたしでもすぐに作れる。ビールとともに、食してみたくなるではないか!

 夏にぴったりのレシピを小説からもう一つ紹介するなら、旬のナスの味噌汁。原文がどこだったか、もう探しようがないので引用できません。要は、出汁のきいた味噌汁に、焼き茄子を浮かべるだけです。

 わたしとしては、焼き茄子はフライパンではなく焼き魚用の天火で、焦げ目をつけたい。マッチする味噌汁の出汁はさて、煮干しか鰹か。味噌は白、合わせ、赤、それぞれ焼き茄子とのマッチングはどんな風味になるか。赤はちょっと違うかなあ...。

 さまざま思い浮かべる脳内で、味噌汁から焼いた茄子の香ばしさが漂ってきます。上品に仕上げたいなら、焦げたナスの皮はあえて除いた方がよい?

 食べることは、生きる基本。食べ物を疎かにせず、美味しく書いてある小説は、例外なく面白いと思います。

 そんな作家を、池波さんのほかに挙げるとすれば、わたし的にはまず北方謙三さん。

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 「独り群せず」(北方謙三、文藝春秋)という小説があります。鮑(アワビ)を薄く切っただけの簡素な一品。

 「鮑が、こんな味になるのですか。わずかな塩と胡椒、それに胡麻と大葉。胡麻の油が実によく味を引き立てている」

 「邪道だろう。三願では出せない」

 「この鮑の切り方、父上にしかできないものです。鮮やかに切ってあるので、薄い鮑の身が油を吸わず、味が死んでいない」

 切れ味の鈍った包丁は、魚介だけでなく、全ての味を殺します。わたしも刺身包丁をはじめ、家の包丁は自分で研ぐので、それくらいは分かります。ところでこの料理人、若いころは幾度も人を切って生き延びた無類の剣客!。そんな料理人が包丁を使った料理もまた、食ってみたいと思う。

 この剣客、ではなくて料理人、柔らかい柳の俎板を使っていますが、どれだけ切っても俎板に、一筋の傷跡も残さない。う〜ん、かっこいい。ここまでくると完璧なフィクションだろうけれど。

 あ、ちなみにこの「独り群せず」は、開国直前の幕末を舞台に、一人の料理人が直面する政治と闘争の物語です。食い物はあくまで、展開の中では脇筋のテーマ。薬味のように、老いつつある男と若い娘の心が添えてあります。

 現代物であれば「居酒屋ぼったくり」(秋川滝美、アルファポリス)なんかも、思い出します。庶民的な味をいろいろうまく使ってあるのですが、やや蘊蓄が勝ち過ぎて、一度読めばもういいかな。食べ物より、文章の方でお腹がいっぱいになってしまいます^^;。

 もちろんわたしは、手の込んだ高級料理を否定するものではありません。仕事を通じた知人にフレンチのベテランシェフがいて、熱意と創造性には敬意を抱きます。価格的に滅多に食べられないけど。もう会社の交際費で落とせないしww。

 すでに亡くなりましたが、会社近くで小さな中華料理店を営んでいた老人のチャーハンも忘れられません。カウンターで一口食べ、若くて生意気だった当時のわたしは、思わずたずねたのです。あまりにも地味で、しかし記憶に残るであろう味だったから。

 「隠し味にガラスープとか使うんですか?」と。老人は苦笑いして一言。

 「なんにも」

 ただ炒めただけ。塩も醤油も胡椒さえ使っていない。確かにそれは、わたしもカウンターから見ていた。その後、家で何度も挑戦しましたが、あの味と色は出せませんでした。当たり前か。

 そして、

 わたしが一番好きなのは、白いお米です。

 これから新米の季節。精米したてのお米を炊いて、秋茄子の漬物があれば満足。コシヒカリの産地に暮らしているけれど、昔からあきたこまちも好きです。

 寒くなれば、いよいよ地元で揚がる魚も脂が乗ってくる。楽しみだあ。

 

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 さて、蛇足。都市部にお住まいの方はご存知ないでしょうが、田舎には<コイン精米>の小屋があります。これ、コインランドリーのお米版。...は、ちと乱暴か。

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 知り合いの農家さんから直接買った新米(玄米)を、小屋の精米機に流し込み、100円入れると、騒々しい音を発して白米にしてくれます。100%の白米にするか、栄養豊かな80パーセントくらいにするか(まだほんのり茶色い)は、つまみ一つの選択次第。漂うお米の香り。

 精米したら帰って、さっそく炊きます。早稲が出回るまで、あと1か月もないな。