よく行く書店に映画やテレビドラマの原作になった、あるいは近々公開予定の映画の原作を集めたコーナーがあります。眺めて「なるほど」とか「へえー、これを映像化?」とか。もちろん「どんな小説なんだろう」と、想像が広がる未読作が圧倒的に多いのも楽しい。
先日、そこで目にしたのが「土を喰う日々ーわが精進十二ヵ月」(水上勉、新潮文庫)でした。2022年秋に「土を喰らう十二ヵ月」として劇場公開予定。ちょっと意表をつかれました。そして、わたしは未読の水上作品。
2004年に死去した直木賞作家、水上勉を知る人は今どれほどいるのか。例えば村上春樹さん原作でアカデミー賞に輝いた「ドライブ・マイ・カー」に比べれば、原作者の知名度で劇場に人を呼ぶことは難しいでしょう。
それでもお金を費やして映画化するからには、原作に対するプロデューサーか監督か、あるいは他のだれかの強い思い入れがあるからです。それほどの思いを抱かせる「土を喰う日々」という1冊を、読んでみたくなりました。そして..
正解だった。
小説ではなく、作家が手作りした料理のエッセイです。「一月の章」に始まり、12月までの12章。畑で採れた野菜や頂いた山菜を、季節の移ろいの中でさまざまに愛し、料理し、食する。
作家が食について書いた名エッセイは北大路魯山人はじめ数々ありますが、こんな、欠かしてはならない1冊があることを知りませんでした。「ミシュランの何とか」とは全く別の、質素でも豊かで清々しい食の世界に心が洗われます。
そもそもこれは美食家の「食べある記」ではなく、作家自身が料理人として書いた本です。ちょっと説明が必要ですね。
水上勉(1919−2004)は福井県生まれ。9歳で京都の禅寺に出されて庫裡を任され、精進料理を仕込まれる。立命館大学中退。還俗して宇野浩二に師事。1961年に「雁の寺」で直木賞。「一休」その他の小説で谷崎賞、川端賞、毎日芸術賞を受賞。老境に入って軽井沢に暮らし、野菜を育てながらこのエッセイを書きました。
原点にあるのは、禅宗の教えに従いながら、貧乏寺の庫裡で四季折々の料理を任された体験です。大地の恵みを、何も無駄にしないこと。
例えば天候に恵まれず、出来の悪かった大根。どう調理してもしこりや苦味が残り、芯にスが入っている。これでは家を訪ねてくれた来客をもてなせない。おろしてみると、これがまた滅法酸っぱい。しかし...
その辛さは独特の味だった。めしにのせると甘くなって舌をひたした。昔の大根だった。いや、ぼくらがわすれてしまった大根の味なのだった。いまの大根はなりは立派だが水っぽくてそっけない。
あなたならこれをどう生かすか。と、わたしは問いかけられた気がしました。そして1年12か月、読み進めると「食べたい」「自分で作ってみたい」という一品が続出します。「土を喰う」とは、大地の恵みをいただくこと。
実は今日、園芸店を訪ねて実のなる山椒(山椒の木は雌雄あって葉だけの品種があります)の苗木を注文してきました。どうしても自家製の採れたての山椒の実をすりつぶして作りたい田楽味噌が「二月の章」に出てきたのです。