精米したばかりの新米が、どんと届きました。亡き母の実家は農家。とっくに80歳を越えた叔父が、毎年軽トラを運転して届けてくれます。玄米から表面を削り取った白米はまだ精米時の熱がこもっていて、袋の口を開けて冷ましました。
わたしのウオーキングルートの田舎道も、稲穂がこうべを垂れて収穫期です。残暑どころでない異常気象が続いても、季節は巡っているのか。
旬。
食べ物には、それぞれ季節があります。スーパーの食品売り場に年中、豊富な食材が並んでいるけれど、やはりその時期だけ圧倒的に美味しいものがあって、季節を喰らう楽しみは昔も今も変わりません。
わたしが暮らす地なら、4月中旬からのタケノコ。竹林の中を走る県道沿いに直売所がいくつも開店し、農家のばあちゃんたちが掘り出したばかりのタケノコを売ります。だいたい昼前には完売。じいちゃんたちはその間、せっせと裏の竹林でタケノコを掘っていて。
タケノコは時間が経つほど、一気に味が落ちます。こればかりは前日物はもうだめ。<並>の味になってしまいます。<特上>を求めるなら、直売所で買ったら車を飛ばして家に戻り、すぐに米ぬかで水煮してあくを抜きます。生のまま刺身にしてもいけます。
下ごしらえが済んだら、炊き込みご飯か、味噌煮か、はたまた...。と、思い巡らすことに、季節を喰らう幸せの半分がある気がします。
海の旬は、やはり冬でしょうか。特に12月から1月までの寒ぶり。水揚げされた当日にいただく刺身の歯触りと舌触り。赤身にも脂が乗っているし、腹の裏の大トロときたら。わさびと醤油がからんで沁みる甘さに、しみじみ季節を感じます。
もっとも、寒ぶりの地場物は高いので、食卓に乗るのは遠くから運ばれてきたスーパーの養殖ものが多くなります。さみしい..。でも高級魚に限らず、刺身は寒い季節が圧倒的に美味しい。夏は寿司屋さんへ行く気が起きません。
わたしは1週間、毎日の昼飯が冷凍食品でも平気で、むしろ冷凍技術の進歩に感心する部類です。一方で、昔からストレス解消に料理をすることがあり、記者時代に取材で「旬」を追いかけたこともあって、旬を逃さないことは季節ごとのささやかな贅沢なのです。
旅先でホテル周辺をぶらつくと、街中に本屋とスーパーを探すおかしな傾向もあり。時には名所旧跡より、食品売り場の、その土地ならではの魚介類の品揃えが記憶に残ったりするから、困ったものです。
9月からベニズワイガニ漁が解禁になりました。でもカニに食指が動くのは秋が深まってからです。今は、やはり新米。「お米の旬」とはあまり言わないけれど、軽く研いでふっくら炊き上げると、香り立つ旬の味です。この時期だけ値段が上がることもないし。
若いころは質より量だったのですが、年齢とともに大食できなくなると、味の方へ意識が移ります。じじいになるのも悪いことばかりではないか。しばらくは、新米でささやかな幸せをいただくことができます。