ことばを食する

私的な読書覚え書き。お薦めできると思った本を取り上げます

翻訳家と剣客小説

 常盤新平(1931ー2013)という名前を聞いて、「ああ」と、思い当たる人はそう多くないと思います。アメリカのペーパーバックスを読み漁った若い時代を描いた自伝的小説「遠いアメリカ」で、1986年に直木賞を受賞。しかし、小説は余技でした。

 わたしにとって常盤さんは、雑誌「ニューヨーカー」のコラムを厳選して紹介してくれる、感度の優れた翻訳者であり、また、お洒落なエッセイストでした。常盤さんを通じて触れる、ニューヨークの一流コラムニストの文章には、あのころのわたしが求めるエスプリが詰まっていました。

 アメリカの現代ジャーナリズムと文学、文化について、常盤さんには数十冊の翻訳、著作があります。わたしはほんの一部を読んだに過ぎませんが、なんともダンディなイメージで記憶に刻まれたのです。

 長い空白を置いて、常盤さんと再会したのは古本で買った池波正太郎作品でした。

 「剣客商売」(新潮文庫)全16冊全て、さらに番外編の「黒白(こくびゃく)」など、巻末解説を常盤さんが書いていたのです。知らなかった。若いころ、わたしの視野には欧米文学と現代日本の社会しかなく、時代小説に興味がありませんでした。

 人間というもの、そのときどきの興味の先にある光景しか見えない。もし当時、リアルタイムでアメリカの最先端を紹介する常盤さんと、池波作品の関係を知っていたなら、自分の感性にもう少し広がりを獲得できただろうに...と思います。

 「剣客商売」の解説で、常盤さんは仕事に行き詰まったら繰り返し池波作品を読んで元気を得た、と書いています。そして年末になると、恒例のように「剣客商売」を再読したと。

 昨年末から、わたしは真似をして「剣客商売」を再読し始めていました。お気に入りの映画を何度も見たり、音楽を繰り返し聴くのと同じですね。

 

 その最中の元日夕方に襲われたのが、能登半島地震。震度5強の体験したことのない揺れが収まった直後、津波警報が出て「高所に逃げなければ」と冷静に考えたつもりでした。

 そもそも近くに高所が見当たらない、海にほど近い田舎なので、車で丘陵部を目指すだけです。ところが、運転に必須のメガネが見つからないのです。探しても時間ばかり過ぎるので諦め、視力0.4の裸眼でアクセルを踏みました。外に出ると、ふだんはない鳥の鳴き声が空に響いていました。地震と津波に追われた海鳥かーと、思ったことを覚えています。

 背後に津波の恐怖を感じつつ、視界がぼやけたまま運転、避難し、幸い夜に帰宅。床に散乱した本を整理していると、その下からメガネが出てきました。

 本と一緒に床に落ちていたのでした。突発的な災害に対して、心の準備はしていたつもりでも、小さな現実さえ想定を上回ります。メガネが本の下に隠れて見つからなくなるとは、思ってもみなかった。

 身近にもさまざまに深刻な被害があり、さらに被害の全容がようやく明らかになりつつある能登は、車で何度も足を運ぶお隣です。電気、水道のインフラが確保されている日常に感謝しつつ、一昨日からまた「剣客商売」を手に取り、絵を描き始めました。

 一般車の侵入が規制された能登に関しては、ネットでわずかながら募金をしたほか、いまのところ祈るしかありません。剣客・秋山小兵衛なら、さてどうしただろう...。

 と...書いてた今、余震で部屋が揺れた。もう1週間になるけれど、ミシリ、と家が軋む音はどうにもなれることができません。

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昨日は晴れたので、空いた時間に津波の痕跡が残る海岸へ。海の向こうの北アルプス。写真の反対方向に目を転じれば能登半島が望めます。美しさも過酷も、自然の営み。ちっぽけな人間は、できる範囲で懸命にもがくことが大切なのか、な..。