ことばを食する

私的な読書覚え書き。お薦めできると思った本を取り上げます

名文とは...結局、心地よくて面白い文章 〜「鬼平犯科帳」池波正太郎

 今日読み終えた「鬼平犯科帳」7(池波正太郎、文春文庫)の巻末に、故・中島梓=小説家としてのペンネームは栗本薫=が、文体・文章について書いていました。これがなんとも興味深かった。というのも、わたしもまた池上さんの文体について、ずっと気になっていたからです。

 しばらく「鬼平犯科帳」ではなく、池上作品の文体について拙い思いを記しますのでご容赦のほどを。

 「文章読本」という同じタイトルで、そうそうたる作家が本を書いています。谷崎潤一郎、三島由紀夫....。「日本語のために」という題では丸谷才一。読んだのはどれも大学時代なので、内容はほぼ忘却の彼方ですが....、確か..三島由紀夫は

 

 漢文のごとく簡潔であることが望ましく、ゴテゴテした看板のような形容詞や、説明を重ねるのは愚である

 

 小説の中で同時代人にしか分からない固有名詞は、使わない方が良い

    (↑は記憶を基にした要旨で、原文ではありません)

 と書いていました。固有名詞に関しては、なぜなら遥か未来に作品を読む人は、その意味が分からないから。例えば「伊勢丹」と書いても、500年後の人には、たぶん<?>です。つまり自分の作品が読み継がれ、やがて古典となることまで想定したルールで、さすがに大家は考えることが違う!。

 と、思ったものでした。

 若かったわたしは、名文を書きたいなら<固有名詞に注意><形容詞と説明の過多は悪>という思いを心に染み込ませました。

 しかし、固有名詞の力をよくよく考えれば、未来の人はいざ知らず、同時代の大半の人が理解・共感できるところにあります。その力を行使しないのは愚ではないのか?

 三島由紀夫の考えは、間違ってはいないけれど、間違いでもある....と気付くのに、けっこう歳月を要しました。

 「鬼平犯科帳」をはじめとした池上作品は、江戸のさまざまな固有名詞をいかに効果的に使っていることか。

 そして、文章が簡潔。これに関しては三島が好みそうな特質です。同時に、独特の語り口調がなんとも自由で味があり、この点について教科書的名文?からはみ出しそうです。

 名文とは何か、いろいろな人がさまざまに言っています。でも、難しいことはさておき、心地よく読めて面白いなら、今のわたしはそれが名文だと思います。どんな文章が心地よく、また面白いかは人それぞれ異なるので、名文に型はないのかな。

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 さて「鬼平犯科帳」。するする読めて、面白い。卓越した職人芸の名文だと思います。全24巻あって、先月から1日に2、3話のペースでゆったり楽しませてもらっています。文庫本1冊に6ー7話収録され、全て連動しているので、読み進むほどジグソーパズルのように<江戸時代絵巻>が広がっていくのです。

 一方で、わたしには牛歩のごとく読み進む「源氏物語」もあって(何とか「若菜」まできました)、書店で新刊本を漁る余裕がほぼないのは残念。こうなると、人が1日にできることは本当にわずかだと実感します。

 ぼやいておきながら、油彩のお絵描きを再開します。次は、春に撮影した写真をモチーフに、

 <鳥の巣>

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