<老い>や<死>と、どのように向き合うか。そもそも、人は覚悟を決めてから老いるものではなく、生きることに追われているうち、気づいた時には既に、老いに伴うさまざまな現実が降りかかっているのでしょう。
普通の人間にとって、飛び抜けた成功や栄光は別の世界の物語で、喜怒哀楽の=しかも「喜」と「楽」の比率が極めて低い=積み重ねが、一生なのかもしれません。「家族じまい」(桜木紫乃、集英社)には、そんな大人の諦観が静かに流れていて、読むほどに心に染みてきます。感傷はかけらもなく、描かれる日々の現実の存在感とともに。
親とそれぞれ家族を持つ姉妹を軸に、互いに関係する5人の女性を各章の主人公にした連作のような構成。北海道を舞台に、一人ひとりの過去と事情を背負った人間たちが、背負ったものがあるが故に折り合うこともできず、歳月だけが淡々と積み重なっていくのです。
いつ解けるか分からない氷をあいだに挟んでいるような関係は、血縁であるというだけで冷える一方だ。
編み物と漫画本を趣味に、アパートで一人暮らしする老女はこう思う。
八十を過ぎれば便りのないのは死んだという報せだろうか。誰と連絡を取り合うのもおっくうで、気になりながらもついそのままにしている。生きているあいだに会えればいいが、老い先短い者同士が会って何を話すのか、何を思えばいいのか、登美子にはよく分からない。最近は連絡が来たときに静かに手を合わせに行けば良いと思うようになった。
こうした小説世界には派手なドラマも、ミステリーも、ましてやクレイジーな芸術表現の実験もなく、つまり読者に面白さを訴える要素が欠落しています。桜木さんにはストリッパーや北の町のマフィアのような男と女など、ドラマ性のある女性像を描き込んで読ませた作品もありますが、近作は夫婦関係や、家族など身近かなテーマにフォーカスしています。
だから「家族じまい」がつまらないかと言えば全く逆で、安っぽいエンターテインメントより、よほど面白い。人間の内面を執拗に描き出す文章の、切れ味と容赦のなさが抜群なのです。
以前、桜木さんについて書いたときにもふれましたが、その「面白さ」と伝えようとすると、わたしにはとても難しい作家の代表格。ストーリーを紹介して意味があるとは思えず、ヒロインやヒーローも不在。しかし、一つだけ分かりやすい個人的事実を書くことができます。
これまでの大半の作品を読んだ作家さん。そしてこれからも、新作が出たなら文庫を待たずに買うでしょう。
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